イタリア・バロックとローマ

ローマの印象

3年前の夏に2週間ほどローマに滞在した。
美術目的の旅であったため、主だった美術館、博物館はだいたい訪れたつもりでいた。たしかに、建築や彫刻は素晴らしかった。だが、ルネサンスの精華のあるヴァチカン美術館を除いては、絵画で強いインパクトを受けるものは少なかったと感じている。
ローマというヨーロッパを代表する都市の美術館として期待して行ったわりに、美術館で見た質より量で圧倒してくる絵画には、すこし肩すかしを受けたような気がした。
しかし、イタリア・バロック絵画を勉強すると、それは私の知識不足が原因であったことが分かる。
バロック都市としてのローマ。この視点を持って歩きまわれば、ありとあらゆる場所に宝は転がっていたのだ。

宗教画は教会で見なければ

ローマ滞在中、ある程度名の知れた美術館はだいたい訪れ、そのことで私はローマの絵画の概要を知ったつもりでいた。しかし、それではローマにおけるバロックの至宝の多くを見ていなかったことになる。すなわち、教会にあるバロックの祭壇画、壁画、内部装飾を見ていなかったのだ。
たとえば、教会天井にあるイリュージョニスティックな壁画。劇的な天井画は、まさにバロックを代表する作品であるが、それらが描かれた教会には訪れず、また訪れても天井画に注目して見ることもなかった。
また、ベルニーニやボッロミーニの建築や意匠。ローマの景観に大きな影響を及ぼした彼らのことをよく知っていれば、街もまた違った表情を見せてくれたことだろう。

爽やかなイタリア・バロック

ところで、イタリア・バロック美術には、カラヴァッジョの作品にみられる激しさのある作品とともに、爽快感を抱かせる作品が多いと気づく。
たとえば、ベルニーニによるボルケーゼ美術館の「アポロンとダプネ」。古代彫刻にはない、清涼感のあるしなやかな肉体を持った作品について、若桑みどり氏は次のように述べている。

美しい髪をひるがえして走るアポロンとダプネは、風のように軽やかでいましめのない姿である。私はここに、晴れやかなバロックのそよ風、あたらしい世紀のつかのまの自由を感じる。
だれひとり十六世紀では、このように縛めのない大理石をつくることはできなかったであろう。ベルニーニやカラヴァッジョの青年期の、ういういしい若者の姿を見ているかぎり、バロックがいっときのあいだはどれほどの解放であったかがしのばれる。人間精神を何世紀にもわたって圧しつけた罪と宗教の呪縛からのがれようとする近代の微風がようやく吹いてきたかのように。(『マニエリスム芸術論』より)

ベルニーニの大胆な彫刻や、コルトーナやポッツォの過剰とも思える天上画。これらの作品から感じる爽快感は、先行するマニエリスムの暗さと無関係ではないはずだ。
ルネサンスカーニヴァルが終わり、行き詰りつつあった時代が反宗教改革の熱狂により打破される。その新たな喧噪の申し子として、イタリア・バロックを位置づけることもできるだろう。

バロック鑑賞の楽しみはローマで

ローマでバロック芸術に満足にふれることができなかったこと。それには私自身の不勉強のせいもあるが、もう一つ大きな理由がある。
私がローマ・ガイドとして参照した、和辻哲郎氏の『イタリア古寺巡礼』には、古代やルネサンス芸術の紹介はあっても、バロック美術に対する紹介はほとんどなかったのだ。
実際に、日本で開かれる西洋美術の展覧会でも、バロック美術が紹介されることは少ない。その理由として、多くのすぐれた作品が教会内の展示であること、またベルニーニなどの彫刻作品の輸送はそもそも不可能にちかいことなどが挙げられるだろう。
そのためか、日本ではその知名度のわりに、イタリア・バロックは西洋美術のなかで比較的マイナーなジャンルであるように思われる。
逆の言い方をすれば、バロックのすぐれた作品は、現地に行かなければめったに鑑賞することができないわけで、旅行の楽しみがまたひとつ増えたと考えることができなくもない。