『イタリア・ルネサンスの文化1』 ブルクハルト 4/5

 この古代崇拝に関して、ブルクハルトは肯定・否定両面の考えを持っているようだ。否定面としては、次のような意見が述べられる。

(古典的古代を一面的に重んずる風潮にたいするピーコの批判を引用して)「われわれは、字句の末にこだわる者たちの学校にではなく、賢者のつどいの中に、永久に生きるであろう。そこでは、アンドロマケの母やニオベの子たちについてではなく、神的な事柄や人間の事柄のより深い根拠について、論じられる。そこに近づく者は、野蛮人にも心霊が、舌先にではなく胸の中に、あったことに、気がつくであろう」(317)

 一四〇〇年以来、人文主義の進出が強くなるにつれて、この地特有のこの志向(フィレンツェで開花した性格の一般的な有能さ)が衰えた。それ以来、人はあらゆる問題の解決を古代からのみ期待し、そのため文学をたんなる引用と化した。のみならず自由の没落さえ、これとかかわりがある。それは、この学問が古代の権威にたいする奴隷的服従にもとづいており、都市の法律をローマ法の犠牲に供し、そのためだけでも専制君主の恩恵を求め、かつそれを見いだしたからであるという。(325)

 これらの否定面がありながら、古代崇拝はひとつの美意識も生み出す。たとえば、ボッティチェリの絵の持つエレガンスは、次のような時代背景が無ければ存在しなかったと思えるのだ。

 教訓詩は十六世紀には、錬金術、チェス、養蚕、天文学、性病などを六脚韻で歌い、さらに二、三のぼうだいなイタリア語の詩がこれに加わるほどで、まったく驚くべき隆盛を見る。今日人々は、この種のものは読まずに判決をくだすのが普通であるが、これらの教訓詩が実際どこまで読む価値があるかは、われわれも言うことができない。
 一つだけたしかなことは、美の感覚において現代よりも無限にすぐれていた諸時代、ギリシア末期やローマの世界およびルネサンスには、こうしたジャンルの詩がなしにはすまなかったということである。(414)