『イタリア・ルネサンスの文化1』 ブルクハルト 3/5

古代崇拝の時代

 ルネサンスにおける古代の復活。これについても、ブルクハルトはその原因を明確に述べることはしない。著者は、当時の古代崇拝の様相を、どちらかといえば戯画化して語る。

 個々の都市の歴史書は、昔から、真偽とりどりのローマとの関係や、ローマによって直接建設または植民されたことを、指摘していた。また早くから親切な系図家たちは、個々の家系をもローマの有名な血統から引き出していたらしい。これはたいそう気持ちのよいことなので、十五世紀の批判精神の光がさしはじめても、人々はこれをやめなかった。(296)

 多くの演説者は、その機会を利用して、高貴な聴衆に多少のお世辞を述べたうえ、古代から借りてきた言葉と事物の数々を乱暴にならべたてようとする。それを二時間も、いや三時間も、どうして我慢して聴いていられたかを理解するには、当時古代の事物にたいする関心が強かったこと、印刷術が普及する以前で古代の書籍の編集出版が不十分かつ比較的まれであったことを、考慮に入れなければならない。(376)

 われわれの時代から見ると気取りと思われるもののすべてが、当時はかならずしも実際に気取りであったとは言えない。たとえば、ギリシア風やローマ風の名前を洗礼名として用いるのは、今日好んで小説から出た〔ことに女の〕名前を用いることより、どう見てもはるかに美しく、かつ尊敬に値する。古い世界にたいする感激が、聖者にたいするそれよりも大きくなるや否や、貴族が息子たちに、アガメムノンとか、アキレウスとか、ディデウスとかという名前をつけ、画家が息子をアペレス、娘をミネルヴァなどと呼ぶことは、まったく単純な、かつ自然なことだと思われる。(394)

 このような著述を読むと、ルネサンスにおける古代の復活には、はっきりとした特定の要因があるわけではないこと、偶然にも左右された一つの流行に近いものであったことが分かる。