ショスタコーヴィチの交響曲

 マーラー以後、もっとも偉大な交響曲作曲家の一人に数えられるショスタコーヴィチ。その作品の中では、印象的なな最終楽章があり、演奏機会の多い第5番や、「レニングラード」という通称をもつ第7番が有名であり、この二曲がそのまま作曲家の一般的なイメージとなるかもしれない。
 だが、15作品ある交響曲を全て聴いてみれば、それらも作曲家の個性の一面にすぎないことが分かるだろう。
 例えば第4番では、ソヴィエトの作曲家の作品であるにもかかわらず、まったくロシア的な印象を感じない。むしろ、汎ヨーロッパ的、無国籍な響きがある。
 評価が確定している作品も、聴いてみなければ分からない。第8番は、最も暗い作品と言われるが、それほどの暗さを感じることはなかったし、傑出した作品とされる第10番も、他の交響曲に比べて別格のものとは感じない。
 第13番は、内容的に国家に対する挑戦とも受けとれるものだが、その暗さ、重々しさは、かえって民族的な雰囲気を多分に宿したものとなっている。
 逆に第14番は、無調や十二音音階などの技法が用いられた、現代音楽的な歌曲。

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 今回聴いたCD-BOXのブックレットには、第8番の解説で、次のようにショスタコーヴィチの特徴が記述されてある。
 ”Sense of grotesque that had been a hallmark of the composer’s style from the early Futurist inspired days, sometimes evoking the Vaudeville or Circus, sometimes the bitter critique of the times or the dance of death that is found towards the end of this Symphony”
 ショスタコーヴィチは、既存の作品や当時のポピュラー音楽、あるいは過去の自作を、引用し、変奏し、手をかえ品をかえ新しい作品に組み入れてくる。彼に影響を与えたマーラーは、その作曲家人生の中で、形態変化ような変身を何度か行い、交響曲の歴史を自ら塗り替えてきた。それに対し、ショスタコーヴィチは近代から現代までの音楽データベースのなかから、使うべき旋律や技法を選び出し、変幻自在に作曲する。
 そこに、常にソヴィエトという国家の影響を受けながらも、それとの距離を図りながら作品を紡ぎだしてきた、作曲家のしたたかな魅力がある。
 その意味で、モダンな装いの中に、有名な旋律や作曲技法をちりばめた第15番は、作曲家の真骨頂とも言えるものだ。この曲が作られたのは1971年。この頃にはすでに、音楽的引用やオマージュ、サンプリングが新たな表現として承認されていたのだろうと思うし、だからこそ音楽も不自然には響かない。
「歴史上の偉大な作曲家」ショスタコーヴィチの時代は、意外なほど現代に近いのだ。

ショスタコーヴィチ:交響曲全集 (Shostakovish: Symphonies)

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