クリスチャン・ボルタンスキー -アニミタス―さざめく亡霊たち-

 昨年、東京都庭園美術館で開催された、個展の公式図録。展示品や旧朝香宮邸の写真のほか、ボルタンスキー氏へのインタビュー、学芸員による解説が収められている。
 インタビューで、作家は「生と死について一貫して表現してきた」「今は神話を作り上げることに興味がある」ことなどを述べている。
 特に、死に対する考え方、それを前にした芸術の位置づけには、独特なものがある。

(自分の死の後で作れる神話はあると思いますか?河原温が亡くなった後、しばらくtwitterで、I’m still alive という文章が毎日配信され続けていた、という話がありますが……。)
 その一番良い例はデュシャンでしょう。彼は亡くなった後で神話になる作品を作りました。私が今興味を持っているのはフェイスブックです。フェイスブックは、人を死なせることはできない。その反対に、亡くなった自分の妻のページを更新し、新しい友人を作らせたりする、という形でその人を「生かしておく」こともあります。(49)

 美術館は新しいカテドラルです。
 でも宗教との違いは、答えを求めないということで、それが重要なのです。誰にとっても、理解できない事柄があります。例えば、死はそのうちの大きな一つです。それは鍵のない扉のようなものです。それを開けるための良い鍵はない。でも、それぞれが鍵を作ろうとしている。人間であるということは、想像できないことに関して思いをはせるということです。
 それは普遍的な問いであって、誰もが鍵を作ったり、それが良い鍵だと思い込もうとしたりしている。私は、鍵とは存在しないと思いますが、重要なのはそれを探すことだ、と思っています。その問いを、開かれたままに投げかけること、それが、作品を作ることなのではないでしょうか。(49)

 学芸員による解説もなかなか面白い。図録の解説なので長くはないが、ボルタンスキーの芸術=思想の特徴や、その変化が述べられている。

 ボルタンスキーの作品には、古着、写真、名前、心臓音…素材が何であれ、全体数が多ければ多いほど、それを構成する「個体」の存在感が薄れるどことか、むしろその一つ一つが匿名性を帯びたまま際立ってくるという二律背反がある。想像を絶する膨大な数字にに飲み込まれたとしても、人の存在は合計数ではなく、1+1+1+1+1+……で在り続ける。(112)

《D家のアルバム》(1971年)にせよ《ミッキーマウス・クラブ》(1972年)あるいは《死んだスイス人》(1990年)にせよ、人々のステレオタイプや、無意識に認識している゛カテゴリー゛を問い直すような分類行為を意識的に行っているが、《マンシュリッヒ》においてボルタンスキーは、これまでのシリーズで使用された写真―典型的な中流家族、スペインの大衆雑誌『EL CASO』に掲載された犯罪者と被害者、スイス人、ユダヤ人の子ども、ナチスの兵士たち等をすべて同等にアトランダムに並べた。
 これ以降、写真の使用が減り、古着や名前、心臓音といったより匿名性の高い素材へ関心が移っていったことは偶然ではないだろう。(113)

 ジャン=ユベール・マルタンは最近の論考で、同地の世界中で採取された「心臓音」を保存する美術館「心像音のアーカイブ(Les Archive de coeur)」について次のように言及している。フランス語では、心臓や愛を象徴する「ハート」を、心臓と同じ単語coeurで表現すること、また日本語のように言語が異なっても、「心像音」は必ず誰かに愛された人のものであることから、「心像」を言葉や「ハート」のシンボルに変わるユニバーサルな「愛」の象徴と喩え、さらに「心像」は生命の動力であるからして、人生はつまり愛に等しい、と。この指摘を踏まえるならば、より直接的に「誰か」の愛する人の存在が投影されているのが《ささやきの森》と言えるだろう。……作家が言うように、おそらく死後には何も残らない。死とは無としか表現しようがない状態なのだろう。しかし、全てが無くなったあとに、誰かが他の誰かに愛情を注いだ痕跡が残ることを想像してみることは、決して無駄なことではないだろう。(114)

クリスチャン・ボルタンスキー -アニミタス―さざめく亡霊たち-

クリスチャン・ボルタンスキー -アニミタス―さざめく亡霊たち-