『ユング心理学入門』 河合隼雄 2/2

アニマ・アニムス

 以前この本を読んだときは、このアニマ・アニムスの考えかたが面白く、日記にも引用していた。
・原型として存在する根本態度について、外界に対するものをペルソナ、内界に対するものをアニマと呼ぶ。夢に現れた女性像を正確には、アニマの心像というべきであるが、ユングはこれもアニマと呼んでいる場合が多い。(196)
・(四〇代の恋の相手が「あまりにも意外な」タイプであることについて)これらはむしろ当然のことであり、この一見愚かしく見える恋の中に、その男性が開発させてゆくべき可能性の輝きをさえ読み取ることができるだろう。(204)
・一度この問題に気付いたものとしては、われわれは、ある程度の同一化の危険をおかしてさえも自分の内部にあるアニマ・アニムスを統合することに努めなければならない。この苦しいまわり道を通じて、一人の女性あるいは男性として、そのなかに強さ、弱さを含みながら、より豊かな人間として自分の個性を生きてゆく道を見出すべきである。この点において、もはやアニマもアニムスも、人間の男らしさ、女らしさをおびやかすものではなく、高い意味をもった機能としての働きをするものとなったということができる。(217)

ビルドゥング・ロマンスとしてのユング

 ビルドゥング・ロマンスはユングのキーワードではないが、この本の通奏低音となっている。とくに若い時期だけではなく、中年以降の成熟も河合氏が取り組んだ大きなテーマといえる。
 次回河合氏の著作を読むことがあれば、このテーマをもう少し深めてみたいと考えている。
・(ある6歳の男の子が、死の問題について思い悩み、「死んでから母親のお腹に入る」という解決策をみずから考え出したことについて)この子供の場合は、外からこのようなことについて教えられる可能性がないことが明らかな状況にあったので、なおさら人間の心の内部にある心象表出の可能性を如実に示していると思われた。ユングが元型を、人間の心の内部における表象の可能性として説明する意味が、このような例からも明らかにされるのである。(187)
因果律のみにとらわれると、われわれは、ともすれば過去にのみ目を向けることになって、事件の解決の方法を見失うときがある。これに対し、現在の非因果的布置を確実に把握しようとの態度は、未来に志向しており、その解決の流れが未来に向かって生じることは、今述べた例からもうかがわれることと思う。(262)

ユング心理学入門

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