チェーホフの人間観を探る目的で読み始めたこの本だったが、短編小説家である阿刀田氏らしく、チェーホフの創作のテクニックも紹介している。
読むだけではなかなか思いつかない、書き手ならではの視点で興味深かったので、いくつか引用しておく。
・時間の扱い方
この二重性、この曖昧さが、チェーホフなのだ。たった十五枚ほどの掌編に、これだけの内容を盛り込む手腕は、ただごとではない。作品の中での時間の描きかた……つまり、この作品では橇で滑る一瞬の興奮を伝えることから始まり、その後の経過を少し綴り、あっと言うまに二、三十年を経て終わってしまうのだが、これもチェーホフがよく用いる手法の一つだ。作品の中で時間が一様に流れていない。現在を克明に描きながら突然それが過去に変わり、この手法により、描かれていた現在が飛翔し、幻想の気配を帯びる。(88-89)
・小説のパターン
短編小説はパターンによって書かれることが多い。チェーホフがどれほどそれを意識したかわからないが、何百編も書くとなると、おのずと頭の中にいくつものパターンができてしまう。……
パターンを見抜けば、それを基として新しい創作が思い浮かぶ。多彩なチェーホフの作品群にはそれが期待できる。私がチェーホフの短編に引かれる理由も一つにはそこにある。これはおそらくチェーホフが後世に対して意図しなかったことだろう。名人の乱作であればこそ、目を凝らせば、すてきなパターンがたくさん見えるのである。(98-99)
・ストーリーではなくシーンを描く
(チェーホフの戯曲について)ストーリーよりも、一つ一つの場面に重きを置いている。小説のときもストーリーにはあまり関心を示さなかったけれど、戯曲ではさらに場面への志向性を強くし、そこで展開される人間たちのやりとり、会話の妙味と心理のほのめかし、などなどを描くことに筆をさき、やがて、いわゆるチェーホフ的含意へと向かっていく。
後でもう一度触れることになるだろうが、チェーホフの四大戯曲は……そのストーリーは第一幕でだれかが到着し、波風が立ち、終幕でその人たちが去って行く、というパターンを踏んでいるんだとか。確かにそんな感じは否めない。が、要はそれまでの一つ一つの場面が輝いていることのほうなのだ。(179)
- 作者: 阿刀田高
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2008/12/20
- メディア: 文庫
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