かなしい喜劇 『かもめ・ワーニャ伯父さん』1/2

 チェーホフが晩年に発表した四大喜劇のうち、『かもめ』『ワーニャ伯父さん』を読んだ。
 一般に、チェーホフの四大喜劇は、先に発表されたものほど暗く、後半になるほど、希望が大きくなるといわれている。今回呼んだ二作は、その一番目、二番目の作品であるが、どちらの作品とも、トーンは暗いというよりは、かなしい。
 登場人物たちは、よく泣いたり、絶望したり、打ちひしがれたり。
 例えば、『かもめ』に登場する裕福な地主の娘、ニーナは、自分が憧れる女優のアルカージナや作家のトリゴーリンに幻滅し、次の台詞を吐く。

ニーナ:有名な女優さんが、それもあんなつまらないことで泣くなんて、どう見ても不思議だわねえ!もう一つ不思議と言えば、名高い小説家で、世間の人気者で、わいわい新聞に書きたてられたり、写真が売りだされたり、外国で翻訳まで出ている人が、一日中釣りばかりして、ダボハゼが二匹釣れたってにこにこしてるなんて、これも変てこだわ。わたし、有名な人って、そばへも寄れないほどえばりくさって、世間の人間を見くだしているものと思っていた。家柄だの財産だのを、無上のものと崇め奉る世間にたいして、自分の名誉やばりばりの名声でもって、仕返しをする気なのだろうと思っていた。ところがどうでしょう、泣いたり、釣りをしたり、カルタをやったり、笑ったり、一向みんなと違やしない。……(46)

 それにしても、この二作に登場する人物たちはよく泣く。次の引用は、どちらも『ワーニャ伯父さん』からのもの。どちらのシーンにも、この作品を支配するやるせなさが感じられる。人物たちはどこか投げやりで、「もう泣くしかない」といった様子。

ソーニャ:草刈はすっかり済んだというのに、まいにち雨ばっかり、せっかくの草がみんな腐りかけているわ。だのにあなたは、幻を追うのがご商売なのね。うちの仕事を、すっかり投げだしておしまいになったのね。……働くのは私っきり、精も根も尽きてしまったわ。……(驚いて)あら伯父さん、涙なんか!
ワーニャ:なあに、涙なもんか。なんでもないよ。……つまらんことさ。……今お前さんが私を見た目つきが、亡くなったお前のお母さんにそっくりだったのさ。可愛いソーニャ……(138)

エレーナ:葡萄酒もあるわ。……仲直りのしるしに、ひとつ飲まない?
ソーニャ:ええ、いいわ。
エレーナ:このグラスで一緒にね。……そのほうがいいわ。じゃ、これでもう、ママと言ってくれるわね。
ソーニャ:ええ。わたし、ずっと前から仲直りがしたかったの。でも、なんだか恥ずかしくって……
エレーナ:おや、何で泣くの?
ソーニャ:なんでもないの、ついわたし。
エレーナ:さ、もういいわ、もういいわ……おばかさんね。あたしまで、泣いちまったじゃないの。……あんたは、あたしがソロバンずくであんたのお父さまの後妻に来たように勘ぐって、それで憤慨していたのね。……でもあたし、誓って言うけれど、あたしがあの人のところへ来たのは、ただ好きだったからなのよ。あの人が学者で、有名な人だというので、あたし夢中になってしまったの。そりゃもちろん、そんなもの本当の愛じゃなくて、いいかげんなものには違いないけれど、あのころは本物のような気がしたのよ。(146)