『「悲しき熱帯」の記憶−レヴィ=ストロースから50年』 川田順三 1/2

 雑誌「ブルータス」の特集号のため、1984年に著者はブラジルを訪れる。そのとき接したブラジル社会とナンビクワラ族の印象、そして、12年後に記述したブラジルへの思いがつづられる。
 川田氏が出逢ったのは、レヴィ=ストロースの時代と違い、国家の保護下に置かれ、奇妙な安定感の中にいる先住民たちだった。

 バンデイランテ(奥地探検屋)やブグレイロ(インディオ・ハンター)が「ブグレ」)「猿」に由来するインディオの別称)をさんざん殺戮したり、捕えて奴隷にした過去をあがなおうとするかのように、いまブラジル人は、二十万足らずに減少してしまったインディオを、未熟児でもいたわるかのように保護している。インディオが白人を殺しても、未成年者として重罪にはせず、税金は免除、かなりの物資や医療品を与え、農場労働者なみに老人には年金を支給し、いったん農場として開発された土地でも、インディオが自分たちの居住地として要求すれば、国費で土地を買い戻して与えるのである。(32-33)

 保護下にある先住民たちは、衣類や食料、ラジオや自転車を保護局により支給され、その意味で文明化の道を歩む途上にある。その一方で、まだ彼らのもとに守られている習俗に、著者は新鮮な印象をもって接する。

 月や年の概念はなく、雨が一つとか二つという言い方はするが、数は三までであとは「たくさん」になるので、四年以上の年は数えられない。もちろんいま生きている大人の年齢は一切わからない。……祖先の概念がないし、何代前というように、過去に遡って時をたどる手だてもない。
 ……多少とも時間を遡って訪ねようとすれば、ここに来る前はどこにいたか、という問いにならざるをえない。彼らはある方角を指すか、場所を言って答える。時(クロノス)にかかわることが、空間(トポス)の指標で示される。(76-77)

 そしてなお素晴らしいことには、二、三日後には、この洗濯という概念をもたず、砂まみれ灰まみれで暮してきた人たちは、新しいパンツやシャツも、二、三年前から着ていたのではないかと思うくらい、きたなく、古々しいものに変えてしまい、それをまた実にさりげなく身につけていた。この脱クロノス人たちは、古いものの時のしるしを保っていないだけでなく、新しいものからも、新しいという時のしるしを、たちまち消し去ってしまうのではないかと思った。(79-80)