『ドビュッシー 想念のエクトプラズム』 青柳いずみこ

誤解された「印象主義

 ヤロチニスキによれば、音楽作品を聴きとるにあたって、「測定可能」なのは機能的な側面だけで、それが表象したり叙述したりするものは、さまざまな解釈が可能になってくる。音楽学者たちの興味は、もっぱらドビュッシーの作曲技法に集中したので、美学的な解明が正しい方向からそれてしまった。つまり、楽曲分析では、つねに美学より技法に重点が置かれるため、ドビュッシーの考案した印象主義的な技法が、ごく短絡的に芸術全般の理念としての印象主義に結びつけられる結果になったというわけである。(127)
 「フランス音楽は、謙虚に人を楽しませることを心がけるべきだ」という主義主張の持ち主だった「ジキル」のドビュッシーは、「保守的な聴覚」に「拒絶反応」を起こさせるような世紀末デカダンスの「醜悪の美」を音楽言語化することに抵抗があった。だから、意識的に語法を「脱色」して、「現象としての印象派状態」をつくりだしたのである。
 しかし、彼の行った脱色は、印象派の画家たちがパレットから「暗い色」を追放したような、積極的な変換ではなかった。それはむしろ、「自然にもっとも近い」音楽芸術の特殊性にしばられ、聴覚の保守性の犠牲になったドビュッシーによる、ネガティヴな選択の結果としての「色彩の修正」だった。(321)

作曲の方法論

 ≪森のディアヌ≫は、劇音楽の作曲にあたってドビュッシーが経験した苦労のはじまりだったといえよう。ドビュッシーが主に腐心したのは、テキストを伴う作曲に当たって、登場人物の世界観や複雑な心の動きを音楽で表現しなければならない場合だった。(116)
 ルイスは性的な題材を数多く扱ったが、その語法はけっして官能的なものではなく、むしろ透明で清潔感すらあった。このことは、非常に官能的な音楽言語の持ち主だったドビュッシーの作品が、いつもイノセントな素材をインスピレーション源に持っていたのと、興味深い対照をなしている。・・・・・・「わかるかい、それはとても淫らなんだ。ビリティスが淫らなようにね。つまり、完璧な清純さっていうのは、とっても淫らなんだよ」(205)
 ドビュッシーには、「翻訳癖」があった。彼が対象を音楽言語に「翻訳」するにあたっての、妙に身をひく、無私の態度は、演奏家の卵時代に養われたものだろう。
 「私は、何にもまして、登場人物たちの性格と暮らし方を尊重しましたよ。彼らが、私とは離れて、彼ら自身を自ら表現してくれることが、私の願いでした。私のなかで、彼らが歌いたいように歌わせるように私はしたのです。その歌を聴き、忠実にそれを翻訳することに、私の苦心はかかっていました」「登場人物たちの仕草、叫び、悦び、苦悩に、音楽のほうから関与せぬがよいと納得したらすぐに、私の音楽は身を引くのです」(314)

世紀末デカダンスドビュッシー

 ドビュッシーの≪映像≫は、水面に反射してさまざまに変化する光のたわむれのスナップ写真というよりは、むしろ世紀末的な「映像」のテーマに近いだろう。ギリシャ神話のナルシスの例をみるまでもなく、鏡や水面の映像、肖像画の似姿は、みる者の精気をすいとってしまう恐ろしさを秘めている。(130)
 上述の内容のほか、世紀末デカダンス文化のひとつとして、パレストリーナオルランド・ラッススのルネッサンス音楽が、ポーやボードレールの詩、ゴヤの絵画とともに流行していたことが紹介されている。これは、そのうち聴いてみたい。

ドビュッシー―想念のエクトプラズム (中公文庫)

ドビュッシー―想念のエクトプラズム (中公文庫)