ルイサダのショパン(17のワルツ)

典型的なサロン音楽作品であるショパンのワルツ。それほど技巧的ではなく、また耳なじみの作品が多いせいか、ワルツ集を聞くと幼少時のピアノの発表会の映像が浮かぶ。それはそれで、ノルタルジーに浸れる心地よい時間を過ごせるのであるが、それだけでは少しもの足りない。
そこで、このルイサダのワルツを聴く。吉田秀和氏は、このピアニストの演奏を次のように評している。

決して悲しみ一色で塗られた音楽でもなく、ものうげな憂愁のものでもなく、サロン音楽の領域は突破してしまってはいるが、しかし、大きな交響音楽でも、知的な構造物でもない、ルイサダ自身がいみじくも呼んだ通りの「華麗な仮面をつけた悲しみの音楽」になっているのである。
……これは悲しいけれど、強い音楽なのだ。優雅ではあるけれど、柔弱ではない。また、非常に多彩で巧みなテンポの変化が、ワルツを踊ったり歌ったりする音楽であるとともに、何かを語り、訴える音楽に変えていることがしばしばある。

実際に、ルイサダのワルツで特徴的なのは、そのテンポの扱いかたであり、音楽の速度をゆるめる瞬間など、時にはっとさせられることがある。これにより、ワルツは「踊る音楽」から「語る音楽」になる。
そこに何を聴くべきか。少なくとも、過去の記憶をめぐるノスタルジーではないだろう。

ショパン:ワルツ集

ショパン:ワルツ集