『シューマン:交響曲第2番』 シノーポリ

ここしばらく聴いているシューマン交響曲も、だいぶ耳になじんできました。ベートーベンなどと違い、演奏される機会が少ないせいか、聴きはじめはとっつきにくい部分がありました。ただ、曲を表題音楽や「苦悩から勝利へ」などの物語を表現したものととらえず、作曲家自身の内面を表現したものととらえることで、少しずつ作品に近付けている気がします。
交響曲第2番は、バーンスタインシノーポリ指揮で聴いています。性格の分かりやすい第1番『春』にくらべ、5年後に発表された2番は、シューマンの内面の複雑さがより垣間見られるようです。
かっちりとした印象のあるバーンスタイン版に比べ、シノーポリ指揮版はより音楽の推進力に身をまかせた演奏となっています。そのなかから、シューマンの内面がときおり顔をのぞかせます。
第一楽章から、不安定な印象ではじまります。一見明るい序奏も、感情が暗い面に向かないようにこらえているような危うさがあります。提示部・展開部とも、不安定な曲想。ここにシューマンの病的な面を見てよいかもしれません。
第二楽章はいらだちの表現。指揮もシューマンの内面を意識しているようです。優雅なトリオが、なおさら前半部や後半部の狂乱をきわ立たせています。
メランコリックな第三楽章。楽器が加わるごとに幻想性が増していきます。おそらくノスタルジーを表現したテーマかと思いますが、それにひたることを否定されるような弦が鳴らされる個所があり、この楽章の泣きどころとなっています。
第四楽章は行進曲風な華やかさで始まりますが、第三楽章のテーマが第二主題として奏されると、曲想はやや変化します。

クラリネットアダージョのテーマをしばしテンポを速めることと音程を逆転させることで変形した以外の何物でもない第二主題をもたらす部分では、瞬時、正気と安定が混乱と病に苛まれた人間の体験に、より正確には病魔の痕跡にたじろぐのが感じられる。(シノーポリによるライナーノーツより)

確かに、この楽章はその堂々とした見かけのわりに、外に向かってバーンと開かれた感じがしません。例外はラストのファンファーレですが、逆にこの箇所はとってつけたような印象で、それまでの曲の展開からは少し不自然な流れとなっています。
金聖響氏はこの曲について、次のように述べています。

この曲のロマンチシズム(感情表現)がわかりやすいかな、胸に迫りやすいかな、と思うのです。ただ私自身は、この交響曲はちょっとシンドイ気がしています。というのは、あまりにも感情が露骨に表現されていて、痛々しく感じてしまうのです。(『ロマン派の交響曲』より)

実際この交響曲の四つの楽章は、シューマンの感情の動きをたどるように展開されます。また交響曲第一番『春』についても、春の情景を表わしたというより、それによる心のうごきを表わしたものと考えた方が、腑におちるようです。
シューマンはロマン派の代名詞のような位置づけの作曲家となっていますが、古典派に続くロマン派の音風景のようなものがあるとすれば、それはこの交響曲のような、苦しい心の動きとしてあらわされるものなのかもしれません。

シューマン:交響曲第2番

シューマン:交響曲第2番