『ベートーヴェン:ピアノソナタ第1番』 ヴェデルニコフ

ここ1年ほど、クラシック音楽はほとんどベートーヴェンばかりを聴いてきた。
当初は交響曲を全曲聴く計画だったが、同時代のピアノソナタ弦楽四重奏も聴きだしたため、晩年の作品を聴き終えるまで、結果的に1年もかかってしまった。
このように、1年をかけてひとりの作曲家を味わうことは今まで無かったが、聴くなかで、音楽の聴き方も少しずつ変わってきたと思う。
昨年の今頃は、作品を聴くにしても、せいぜい批評や解説を読む程度だったが、しだいに、ピアノ譜やオーケストラ・スコアを観ながら聴く作品も出てきた。スコアへの書き込みも徐々に増えている。作品について研究すればするほど、よりその曲により添えるような感覚も味わうことができた。
では、1年間聴いてきたベートーヴェンでは、何が印象に残ったか。青春の若々しさを感じさせる交響曲1番や2番、ロマンティックな『悲愴』『月光』などのピアノソナタ、文字どおり次々と印象的な作品が紡ぎだされる「名曲の森」の時期、音楽への捧げもののような後期作品、そして悟り・諦念を感じさせる交響曲第9番や晩年の弦楽四重奏。あらためて書き出せば、質量ともに圧倒的な名曲群にひるんでしまいそうになるが、あえて最初期のピアノソナタ第1番について書いてみたい。演奏は旧ソ連ヴェデルニコフによる。

          • -

ハイドンモーツァルトを思わせる古風なスタイル。後期の作品と比べれば、あえて「古拙」ともいえる作風であるが、そのなかにも、ベートーヴェンの天才がほとばしるまえの胎動が感じられる。
たとえば、ちいさな二つの動機を展開させた第一楽章。優れて古典的な構成の中には、すでに、かなしみや熱情といった感情が見え隠れしている。
この抑制されていた感情が横溢したとき、数々の名曲が生まれる。次第に感情は高みに登り、後期の音楽への捧げもの、そして晩年の研ぎ澄まされたピアノソナタ弦楽四重奏を生み出す、と言ったら少し言い過ぎだろうか?
ただ、そこまでを言えてしまうのは、以降のベートーヴェンの展開を知っているためでもあり、この作品を書いたときのベートーヴェンは、自分がそこまで到達できるとは、夢にも思っていなかったのではないかと思う。
ヴェデルニコフの演奏からは、そのような時期の若々しさ、幸福感、希望が感じられ、そこには晩年の諦念はみじんもない。それは、ある意味で悲劇的であったベートーヴェンの人生が希望に満ちていた時期の、まさに青春の曲なのだろう。