モーツァルトと二人の批評家 2/4

 では、吉田氏の好んだモーツァルトの作品は、どのようなものだったのか?先の評論を読めば、氏の趣味が良く理解できる。
 たとえば、「モーツァルト的」と言えるような響きをもつ、ピアノ・ソナタ十三番と十五番(旧十八番)。十三番は、ギャラント・スタイルのかわいらしい音楽。十五番はポリフォニックであり、知的でいて、暖かみがある。この曲では、吉田氏は緩徐楽章の和声に注目している。
 また、モーツァルト室内楽のおもしろさについて、氏は次の言葉を残している。

 モーツァルトの「偏愛した」対照による効果の創造にはもっと精妙なものがある。それは、各楽想、それからその担い手であるいろいろな楽器の個性化というか、自律化による対照という手法である。たとえば、楽器が二個あれば、それは単一楽器よりも、音色、音のアタックの強弱その他の点での変化によって、対照が生まれる。こういう場合には、むしろその対照の間の均衡、調和が問題になる。それが三個、四個、つまり三重奏、四重奏、五重奏と重なるにつれて、各楽器の個性化がますます微妙になる。ベートーヴェンハイドンとまったくちがって、彼の創作の原理は、各部分、各成員、各要素の微分化の進行と、実に敏捷な均衡の回復による、混沌からの脱却の戯れといってもよいくらいだ。(63)

 変ホ長調の弦楽三重奏による『ディヴェルティメント』を聞けば、それはポリフォニーというよりは、楽器による愉快なおしゃべりのように聴こえる。クラリネットをもったイ長調の五重奏曲は、モーツァルト室内楽中屈指の名作とされているが、精妙なたたずまいを持った曲想の中で、展開部もポリフォニーには、混沌の一歩手前のあやうさと面白さがある。
 その器楽に、声楽を混じえれば、音楽の放つ光りは一層、艶やかになる。

 『ハ短調ミサ』の「エト・インカルナートゥス・エスト」のアリアをもう一度、きくがよい。そうすれば、ここのフリュートオーボエファゴットオブリガートが、繊細に、ソプラノの頭を包み、緑の長い裳裾を優しく覆い、歌とともに大きく豊かに拡がってゆく胸の高まりのまわりを戯れながら、軽くつつみこんでゆくのが、手にとるように見られるだろう。
 肉声の旋律の高低は、器楽のオブリガートの曲線と同じ原理に立つ。そこから、モーツァルトのオペラは器楽的であり交響的であるという洞察と、モーツァルトの器楽の特徴は、彼が各楽器を、声のように歌わせたことにあるという主張が、同時に生まれた。(66)