『マニエリスム芸術論』 若桑みどり

6月16日に読了。
マニエリスムといっても、広義の「マニエリスム的芸術」ではない。対象となるのは、16世紀における、ルネサンスバロックの間における芸術作品となる。

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まず、マニエリスム芸術の大きな特徴として、その人物造型が説明される。ルネサンスは、古典古代を規範とし、均整のとれた理想的な美をつくり上げた。マニエリスムにおいても、規範となるものは存在する。ただし、それは古典ではなく、先行するルネサンスの意匠である。
マニエリスム芸術に特徴的な、捩るような体の動き、腕の動き。これらの動きの多くは、先行するルネサンス、とりわけミケランジェロからの借用であると、この本の作者は言う。ルネサンスにおいて花開いた、人物造型の様々な表現。マニエリスムの芸術家たちはそのストックの中から、必要な部分を借用し、パッチワークの用に繋げ合せながら、作品を作り上げたのだ。
また、マニエリスムの作品には、一般的に寓意が込められているが、それは製作者および依頼者が所属するサークル内でのみ通用するものである。逆に、その知識がなければ、作品の言わんとすることは分からない。その意味で、自然的な美を表現したルネサンスに対し、マニエリスムの美は、より人工的・思弁的と言えるだろう。

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マニエリスムは、その視点の歪みによっても、ルネサンス的な美のあり方に揺さぶりをかける。たとえば、パルミジャニーノの絵画における、蛇状の、11投身の身体。ルネサンスでは7〜8頭身の、リアリスティックな身体が描かれていたが、パルミジャニーノの人体は奇妙に引き延ばされている。それは、次のような思想に基づいている。

真に優美な人体比例は、不自然に長い人体であると、彼らは決定したのである。それによって肉体の物質性が消され、情動的な力が増すからである。

そして、ティントレットにおける、ズレのある構図。彼の遠近法における消失点は、中央からずれた部分、作品によっては、画面の外に存在する。彼の芸術は、ルネサンスのような安定的な構図が、世界の唯一の見かたではないことを示している。

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成熟した既存の芸術から、意匠を借用したり、組み替えたりして新たな表現を作りだすこと。これは、わが国の新古今和歌集にも言えることであり、また近年のポップカルチャーにも適用できる原理であるように思える。
また、視点を入れ替えることで、現実の新たな面をさらけ出すことは、現代美術の常套手段であろう。
しかし、マニエリスム芸術は、それらに比べ格段に重々しく、そして暗い。
著者は、代表的なマニエリストであるミケランジェロとティントレットの芸術について、時代背景との関連から、以下のように評している。

おのれ自身の中に不可分にせめぎあう葛藤の自覚こそが、――もちろんミケランジェロをもふくめて――を、倫理的たたかいの図像を生みだした古代末へと内的に関連づけるのである。ブルデンティウスをして「内面の葛藤」を書かせ、同時代人をしてそれをむかえ入れさせたものは、単なる流行ではない。それはそのころの精神における意志と情熱の「分裂」にほかならなかったし、内的世界への強烈な回心にほかならなかった。(216-217)

古典美を愛する人々は、ティントレットの失なわれた消失点を見て自失する。幾重にもおおいかぶさってくる、ときには、致命的な障害物を乗りこえて、深くものを見通すということが、斜めに見ることによってしか成就されなかったエポック、「正面」というものがもう何ものにも存在しなかったエポックがたしかにそこにあった。そして、天と地との境界を大音響をもって破壊することによってしか、人が神と会えない時もあったのである。(341)

マニエリスム芸術論 (ちくま学芸文庫)

マニエリスム芸術論 (ちくま学芸文庫)