『チャイコフスキー:交響曲第4番、5番、6番』 ムラヴィンスキー、レニングラード管弦楽団

チャイコフスキー後期の交響曲を集めた作品集。その音楽には、ドイツ系の作曲家からは感じられることの少ない物語性の強さ、感情の横溢、そして親しみやすさがある。
作曲家は、その音楽についてのいくつかの文章を残している。
「たしかに作曲者が書いていることですから、その通りなのでしょうが、音楽は文学ではありません。指揮者として、私は、このような文章による表現をあまり重要視することはありません。ベートーヴェンの『英雄』というタイトルも、チャイコフスキーの長い文章も同じで、文字に縛られることなく、楽譜を読みたいと思っています。」(『ロマン派の交響曲金聖響玉木正之
だが、人生感をぶつけたようなこれらの作品を前にすると、やはりその言わんとするところを聴きとりたくなる。
3つの交響曲に共通する要素は、それぞれの第一楽章の運命の動機、そして4番、6番から感じられるノスタルジア、諦念である。
4番は、貴族的な人生の行きづまりから、民衆のなかに希望を見いだす最終楽章へとつながる。
5番は、襲いかかる運命への勝利が謳われる。
しかし、諦念そのものが壮大に奏でられる6番を前に、4番、5番の勝利もはかなげである。
それは、交響曲が高らかな勝利を表現することが難しくなった時代を確信した上での表現ではないか。そのように考えれば、4番は民衆のなかへの逃避とも感じられるし、5番の晴れ晴れしさも、刹那的なものとなる。
そして、これらの曲のノスタルジアは、人生感だけでなく、交響曲が時代の表現となりえた過去が、もう不可能である事を告げているようにも思えるのだ。
感情がほとばしるようなチャイコフスキーの作品は、親しみやすく、届きやすい。それだけに、その音楽に通奏低音のように流れる諦念は切ない。

チャイコフスキー:交響曲第4-6番

チャイコフスキー:交響曲第4-6番