2011/7/3読了
しかし困ったことに私の直感が園子の中にだけは別のものを認めさせるのだった。それは私が園子に値いしないという深い虔ましい感情であり、それでいて卑屈な劣等感ではないのだった。一瞬毎に私へ近づいてくる園子を見ていたとき、居たたまれない悲しみに私は襲われた。かつてない感情だった。……悔恨だと私に意識された。罪に先立つ悔恨というものがあるのではなかろうか?私の存在そのものの悔恨が?彼女の姿がそれを私によびさましたのであろうか?ややもすれば、それは罪の予感に他ならないのであろうか?(132-133)
とまれ、園子を思うことがこの最初の経験を徐々に醜く見せた。私は千枝子があくる日かけてよこした電話に出てあしたもう工場のほうへかえるのだと嘘をついた。あいびきの約束も守らなかった。そしてこうした不自然な冷たさが、最初の接吻に快感がなかったことに由来しているという事実には目をふさぎ、園子を愛していればこそそれが醜く思われるのだと自分に思い込ませた。園子への愛を私が自分の口実に利用したこれが最初だった。(173)
「どうしてもおかえりになるの?」
「うん、どうしてもだよ」
私はむしろたのしそうに答えた。また偽わりの機会が上辷りな廻転をはじめていた。私はこのたのしさを、ただ単に恐怖からのがれるたのしさにすぎないのに、彼女をじらすこともできる新たな権力の優越感が与えるたのしさだと解釈した。
(186)
こうした対話のあいだにも、私の心にむらがる狐疑は限りがなかった。私が園子に逢いたいという心持は神かけて本当である。しかしそれに些かの肉の欲望もないことも明らかである。逢いたいという欲求はどういう類いの欲求なのであろう。肉欲のないことがもはや明らかなこの情熱は、おのれをあざむくものではあるまいか?よしそれが本当の情熱だとしても、たやすく抑えうるような弱い焔をこれ見よがしに掻き立てているにすぎぬのではないか?そもそも肉の欲望にまったく根ざさぬ恋などというものがありえようか?それは明々白々な背理ではなかろうか?
しかしまた思うのである。人間の情熱があらゆる背理の上に立つ力をもつとすれば、情熱それ自身の背理の上にだって、立つ力がないとは言い切れまい、と。(222)
- 作者: 三島由紀夫
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