恋の経過は人それぞれ −『チェーホフ短編集』 2/3

 引用した部分からも分かる通り、恋をすると、相手のことがそれまで出逢ったどの人間ともちがう、特別な存在のように感じるらしい。こんなことは大昔から使い古された表現ではあるけれど、チェーホフの巧みな観察眼によっても、この事実は覆せないようだ。
 しかし、恋愛の経過はさまざま。宙ぶらりんになったまま、心の中で相手を想いつづけるケース、熱烈に相手をものにしようと思うケース……

 私は酔いから醒めたような日常的な気分に捉えられ、ヴォルチャニーノワ家で喋ったことが恥ずかしくなり、生きることが再び以前のように退屈になった。家に帰ると、私は荷物をまとめて、その晩ペテルブルグに発った。……
 そして更に稀なことではあるが、孤独にさいなまれ淋しくてたまらぬとき、ぼんやりと思い出に浸っていると、なぜかしら相手もやはり私のことを思い出し、私を待ちつづけ、やがて私たちは再会するのではないかという思いが少しずつ募ってくる……
 ミシュス、きみはどこにいるのだろう。(34)

 おれは恋が欲しいのだ、何がなんでもこの恋の到来を待ちつづけるぞ、と叫び出したかった。目の前に白く見えるのはもはや大理石のかけらではなくて、かずかずの美しい肉体であり、それらの姿が恥じらうように木陰に身を隠すのをスタルツェフは目撃し、肌のぬくもりを感じ、悩ましさは苦しいまでに募ってゆくのだった……(48-49)
 スタルツェフの心臓の不安な高鳴りが急にやんだ。クラブから通りへ出ると、スタルツェフはまっさきにごわごわのネクタイをもぎとり、胸いっぱいに溜息をついた。いくぶん恥ずかしく、自尊心も傷ついていたし――拒絶されようとは思っていなかったので――おまけに自分の夢、悩み、希望の一切が、まるで素人芝居のつまらぬ台本にでもあるかのような、こんな馬鹿げた結末を招いたことが信じられなかった。(53)

 次の引用は、名作『犬を連れた奥さん』の主人公である、プレイボーイの紳士の独白。様々な恋の結末を経験してきた人間ならではの、重みと、達観と、諦念が感じられる。

 グーロフは今あらためて女を見ながら、『一生の間には実にさまざまな女と出会うものだ!』と思った。過去の思い出の中には、のんきでお人好しな女たち、恋ゆえに陽気になり、たとえ束の間の仕合せにせよ、それを与えてくれたグーロフに感謝するような女たちがいた。かと思うと、たとえばグーロフの細君のように、恋をするにも誠意がなく、お喋りが多すぎて、気障で、ヒステリックで、これは色恋ではなくともっと意義のあるものなのだと言わんばかりの顔をする女たちもいた。そしてまたほんの二、三人だが、非常な美人で、冷やかで、時折その顔に突如として人生が与える以上のものを取りたいという猛禽めいた表情、片意地な欲望がひらめく女たち。この種の女はもう青春の盛りを過ぎた、むら気で無分別で横柄で愚かな人間であり、グーロフはこの種の女たちへの恋がさめかけてくると、相手の美しさが憎らしくてならず、下着のレースまでが魚の鱗のように見えてくるのだった。(110)