『恋愛論』 吉行淳之介

2010/7/19読了

サガン『ある微笑』から十五日間の同棲生活後の男女の感情変化に関して)私は、そのどれかはっきり結論を出せないが、ただこういうことは言える。誘い込んだ地点のセックスに辿り着いた場合、男性はそのことによって相手への関心の多くの部分が消失する場合が多い。一方、女性はそのことが愛情の出発点になる場合が多い、ということである。それまでの驕慢さや意地悪さが消えて、おのずから女性的な特徴を相手の男性に示すようになることが多い。(19-20)

恋人同士の会話というものは、それぞれの個性が分ると同時に、二人の恋の状態も分る。
「恋のはじまりと恋のおわりは、二人でいることのギコチナサによって知ることができる」という言葉がある。
たしかにそのとおりで、従ってそういう恋人の会話にはギコチナサがつきまとう。お互に、ひどく無口になったり、逆にひどく多弁になったりする。(友人の帝国ホテル前でのある令嬢との出会いのエピソードに続く)(47-48)

私の話のなかに「エゴイスチック」という言葉が出てくるが、恋する男女は常にエゴイストである。この点に「恋」と「愛」との大きな違いを私は見るのであるが、その問題はしばらく置くとして、恋する人間はしょっちゅう相手のことばかり考えているようでいて、じつは自己中心から離れられないのである。その人間の思い描く恋人の像というのは、きわめて自分勝手につくり上げたものであって、実際の相手との距離が大きい場合が多い。要するに、自分自身のつくり上げた像を、撫でたりさすったりして悦に入っているわけだ。(極端な例として、精神薄弱気味の美少女に惚れた友人の話)(113-114)

恋愛論 (角川文庫 緑 250-7)

恋愛論 (角川文庫 緑 250-7)