『1Q84 Book3』 村上春樹

2011/5/13読了
 村上氏がその作品のなかで、継続して描いてきたものとして、「現実との対峙」があると思う。本作をその視点で見ると、過去の作品からつぎのような流れが見て取れるだろう。
 『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』では、現実は拒否され、思考のなかの世界が選びとられる。『ノルウェイの森』では、現実は無視され、過去の美しい物語に生きる態度が提示される。『海辺のカフカ』では、解離性人格障害の主人公の意識の流れを通じて、離れていた現実に戻る過程が描かれる。
 そして『1Q84』で、主人公のふたりは、やっと主体的に現実を選びとることになる。それを選びとる力となったものは、『ノルウェイの森』でも描かれた「恋愛の力」だ。
 ただし、現実を選ぶことで失ったものは大きい。
 たとえばこの物語には、『世界の終わり』や『ノルウェイの森』のような美しさ、幻惑的なものは感じられない。
 ふたりが選びとった現実、それは物語のなかで牛川が送っていた生活のようなもの、平板で薄っぺらく、それでいて決して生きやすくない人生ではないだろうか。
 運命的にふたりが結ばれる場面で物語が美しく終わる理由は、その後あらわれるであろう平凡な人生が、描かれるに耐えないものだからであろう。
 その退屈さは、もはや「恋愛の力」などでは乗り越えられない代物なのだ。
 希望にみちたふたりのシーンで終わるこの物語の読後感は、その意味で絶望感に近いものであったと思う。
 しかし、『世界の終わり』のような美しい世界を乗りこえて描かれた現実がこれである以上、この絶望的な、プラスチックな現実を、現実としてみとめ、そこから始めていくこと、それが新たに提示された、乗りこえるべき課題とも言えるだろう。

1Q84 BOOK 3

1Q84 BOOK 3