村上春樹イエローページ1/加藤典洋

村上春樹の初期の作品を読み解いたものですが、この本の読み方からは、村上氏が常にその時代を見据え、その時代に通底する感性を物語にしていることが分かります。
風の歌を聴け』では、「金持ちなんて・みんな・糞くらえさ。」という世の中に対する否定的な感情が、「気分がよくて何が悪い?」という新たな肯定感情に敗れ去る物語が語られ、しかし村上氏はかつての否定感情のほうにまなざしを向けている、ということが主張されます。
同様に『1973年にピンボール』は失われるものがなくなった世代の物語、『羊をめぐる冒険』は思想がキッチュになってしまう時代の物語とされます。
そして、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』のラストシーンからは、次のようなメッセージを読み取っています。

いまわたし達の世界とのつながりに、現実感は山頂の空気のように希薄にしかない。でもそれがわたし達が世界との関係を作るうえで入手できるすべての量なら、わたし達は、むしろ自分の肺を強化し、その希薄な空気で十分生きていけるだけの身体を、自分で用意すべきなのではないだろうか。もしその方途を注意深く辿ることができれば、わたし達はこの繊弱になってしまった世界との関係から、現実を生きる意味を汲みとり、内閉を現実として生きることができる。内閉から回復するとは、この内閉を現実として生きるということである。希薄な現実でしかない内閉を現実として生きることが、内閉世界を現実にする。そしてそれ以外に、内閉世界から回復する手だてはわたし達にはないのである。

そして、その後の世界は『パン屋再襲撃』という短編集に描かれることになります。エピローグには、この世界――マクシムの解体のあとに残った世界――の状況が述べられます。この本は未読であるため、読むことがあれば、物語の中にそのようなメッセージを探してみたいと思います。

村上春樹 イエローページ〈1〉 (幻冬舎文庫)

村上春樹 イエローページ〈1〉 (幻冬舎文庫)