秒速5センチメートル/新海誠

2008/6/29
三篇の短編映画から構成されているが、第一話・第二話と第三話では受ける印象が大きく違う。
一話・二話では、物語がふたりの関係に限りなく集約され、外部の社会はほぼ無視されている。地方の美しい風景を背景とした綺麗な物語は、過去の記憶をフィルタリングし、純化したような印象だった。第二話に種子島からロケットが打ち上げられるシーンがあるが、彼らにとって「外部」とは、ロケットが向かう宇宙と同じように無関係なものであるのだろう。
いっぽう第三話では、物語が急に現実味を帯びてくる。話は極端に起伏がなく、薄っぺらな印象すら受ける。しかし、この退屈さが成長することの現実であり、それが映画で訴えられていることのようにも思えた。社会という外部と関わることは、ふたりだけの純化した関係を紡ぎだすことが不可能になる環境なのかもしれない。それでも、そのような立場に身を置いたとき、ただ綺麗なものを過去にのみ求めるだけではない、現実のやり過ごし方があるのではないかとも思うのだが。