『日常生活における自己呈示』 アーヴィング・ゴフマン 1/7

序論

観察する立場にある人は、自分たちが見聞きするものを二つに区分する傾向がある。一つ目は、おもに言語による主張からなる、操作することがが比較的容易な部分、二つ目は、おもに放出する表出から生じる、本人がそれほど関心を払わず、ほとんど統制していないと思われる部分である。(22)
観察する人が上記の二つ目に疑問を抱くことは少ないために、それを統制することには大きな利得がある。(25)
参与者間の相互行為が進展するにつれて、この最初の情報状態に追加や修正が施されるだろう。しかし、きわめて重要なのは、そうしたその後の展開は、何人かの参与者が最初にとった位置と矛盾しないやり方で関連づけられ、最初の位置を土台にして積み上げれれていくという点である。(つまり、第一印象が大切だということ)(28)
作り出された印象は、(本人による)防御の実践が使われなければ生き残れないだろうというのは理解しやすいことだと思われるが、いっぽう、印象の多くはそれを受け取る側が受け取る際に気くばり(=保護の実践)をしなければ生き残れないだろうというのは、たぶんそれほど理解しやすい事柄ではない。(32)