『明恵 夢を生きる』 河合隼雄 2/2

性衝動の問題

 ユングは当初フロイトと共同で研究を行っていたが、あらゆる夢の内容を「性」に結びつけるフロイトの思想の嫌気がさし、別の道を歩むこととなった。しかし、下記のような記述を読めば、ユングにとっても、性衝動の問題は思いのほか大きかったことが分かる。

「魂」への接近の方法は無数にあるであろう。したがって、人間の描く魂のイメージも無数にあると思われる。しかし、ある文化、時代にとって優勢なイメージがあり、何かが強調されるときは、反動として他のものが否定されることもある。わが国においては、魂は母なるもののイメージを仲介として知られることがあまりにも多かった。母なるものの道を強調しすぎるあまり、一見それと矛盾したり葛藤を起したりする若い女性の道は否定されがちであったと思われる。(127)

 十三歳で「既に年老いたり」とは、まったく奇妙なことと感じる人が多いかもしれない。これについて、筆者は次のように考えている。実際に子どもたちを観察していると、思春期が訪れてくる一歩手前のところで、それなりの「完成」に達するのではないか、と感じられる。「性」の衝動が実際に身体内に動きはじめ、それとどう取り組み、どう生きるかということが生じる以前のところで、いわば「性」抜きの状態での一種の完成があり、それを土台として、思春期という人間にとっての大変な危機状態に臨んでゆくのではないかと思われる。
 このような考えで、この年頃のこどもたちに接してみると、知識の吸収量は非常に多いし、大人も顔負けするような知恵を発揮することがあるのに気づかれるだろう(この年齢の子どもに接して、何かきわめて「透明」な感じを受けることもある)。(137)

明恵の仕事の意義

 著者は、明恵が実践した仕事の結論を以下のようの述べている。だが、著者も言うように、この結論はスケールが大きすぎるような気がして、私にはにわかに納得できないものであった。
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 石化した善妙に生気を与えた明恵は、言うならば、「九相詩絵」に示されていたようなアニマの死に対して、それを再生せしむる仕事を、日本文化の中で行ったともいうことができる。
 ただ明恵の仕事は、あまりにも他の日本の人々とスケールが異なっていたので、その真の後継者は一人もなかったと言えるだろう。明恵自身も、後継者を作る意思がなかった。しかし、彼の成し遂げたことは、わが国が西洋の文化と接触し、本当の意味でのそれとの対決がはじまろうとしている現在、意義を持つのではないか、と筆者は考えている。(317)