『入門経済思想史 世俗の思想家たち』 ロバート・L・ハイルブローナー 1/2

 以前親しくしていた人と、最近偶然再会する機会があった。いろいろ話をしたが、そのなかで「アダム・スミスの『神の見えざる手』という表現が神秘的で好き」というような話になった。
 それで、この500ページ以上もある経済史の本を読み直してみようと思うのだから、勉強を始める原因なんて、単純なものなんだなと思う。
 この本では何十人もの経済学者が登場するが、筆者は、彼らが最も世俗的な行動である富への衝動を考えたがゆえに「世俗の思想家」と呼んでいる。その思想とはどのようなものか。

アダム・スミス

 「神の見えざる手」という表現が有名なアダム・スミス。しかし、彼の関心は市場法則(見えざる手)だけにあるのではない。社会全体の行く末にも大きな関心を持っていた。また、参加者の規模が大きくなった今日の経済でも、弱くなったとはいえ、市場法則はいまだに機能している。「自由放任」自体はスミスの主張ではない。かれは、一般福祉の増進を目指す政府活動には賛成している。(85,93,108)

マルサスリカード

 マルサスは、彼の時代に「一般的供給過剰」を直感していた。しかし、それを理論化することができなかった。(161)
 マルサスリカードとスミスの時代の違いは、産業技術の進展による経済の発展にある。このことが彼らに、人口問題や地主階級の豊かさを考えさせるに至った。(166)

ユートピアンとJ・S・ミル

 ユートピアンたちは、まずその勇敢さが評価される必要がある。陰鬱な経済法則に導かれる社会を、彼らは変えようとした。(203)
 ミルの経済的モデルの新しさ―人間の社会的行動を変える可能性を論じたこと。(214)

マルクス

 革命家ではなく政治経済学者として、マルクスは資本主義の崩壊は不可避であることを論じた。このヴィジョンに対して、資本主義は取り組まなければならない。(225)
 マルクス唯物論―あらゆる社会的変化や政治的革命の原因は、真理や正義の変化ではなく、生産と交換様式の変化に求められる。その結論として、下部構造の工業的生産と上部構造の私有財産制は両立できず、下部構造は合理的に計画された社会主義と、その担い手であるプロレタリアートを生み出す。(233、237)
 マルクスが発見したもの―資本主義が作り出す「抽象的労働」=個人的属性から離れ、小麦や石炭のように売買されるもの。見落としたもの―政治的社会的な文化の役割。制度や行動、態度の多様性。(265,273)