『ドミニック』 ウジェーヌ・フロマンタン

2009/9/6読了

机にした石はほのかにあたたかく、私の手のすぐ横では、やわらかい日ざしを浴びて蜥蜴がのんびりと這っていました。木々はもう緑ではなくなり、日の光も烈しさを失い、影という影が長く伸び、雲の行き来もおだやかになっていて、それらすべてが、秋に特有の心にしみる魅惑とともに、凋落や、衰弱や、別離のさまをあらわしていました。風が葡萄棚をゆするでもないのに、葉のついた葡萄の枝が、一つ、また一つと落ちてきます。庭園のほうには物の動く気配もありません。鳥たちの鳴く声が、心の奥底まで揺り動かすような調子で聞こえます。ふいにわけもなく、かと言っておさえることもできず、胸のふさがるような気持ちがこみあげてきて、にがさと恍惚感とが入りまじって、波のように今にもほとばしるかと思われました。オーギュスタンがテラスに出て来てみると、私はすっかり涙にくれていたというわけです。(61-62)

私はマドレーヌのそばにすわっていたのですが、これは前からの習慣で、どちらからそう望んだわけでもありません。それがふいに、私は場所を替えたいと思い立ったのです。なぜ?そんなことがわかるものですか。ただ、ランプの光が直接当たるので目が痛いような気がして、席を移せば落ち着けるかと思ったのです。マドレーヌは目を伏せて自分のカードを見つめていましたが、その目を上げ、私が台の反対側の、まさに彼女の真向かいにすわったのを見ました。
「あら!」彼女はびっくりしたように言いました。(88)

そして私は、実際に私たち二人の運命は平行線をたどっていて、非常に接近しているが決してあい会わないのだ、こうして並んだまま別々に生きてゆかなければならないのだ、これで自分ももうおしまいだ、と感じました。かと思うと、いろいろな仮説も立ててみました。万に一つといったものが、たちまち誘惑のように心に浮かぶ。それに対して、いや断じてありえない!と答える。しかしそんな気ちがいじみた想像のあとには、何とも言えぬ、恐ろしいほど甘い味わいが残って、私の中にあるわずかな意志の力がその味に酔いしれてしまうのです。それから今度は、やれやれ、あんなに健気に戦ったあげくの果てが結局このざまだったか、と考えます。(146)

こうして文筆生活に幸運なスタートをきった直後は精神もいくらかたかぶっていましたが、それもたちまち消えました。矢継ぎ早にあとからあとから、ほとんど反省もせずに書きなぐって、気持ちが沸きたっていたあとへ、大きな静けさが訪れました。つまり、ふと冷静になってすべてを見直してみる、不思議なほど明晰な瞬間が訪れたのです。私の中には、久しく話に出ませんでしたが、昔ながらの私自身が相変わらず生きていました。黙ってはいてもちゃんと生き残っていた。それが、こうやって一息ついた瞬間をねらって再び姿を現わし、私に手きびしい批判を浴びせかけたのです。……この批判は身びいきなしの、いわば商取引の決済と同じように整然としたものでしたが、その結論として出たのは、自分はよくできてはいるが平凡な人間だ、ということでした。(260)