『村上春樹にご用心』 内田樹

2009/3/13読了
村上春樹はなぜ世界性を獲得しえたのか、作中に食事の場面が多いのはなぜか、このような疑問にたいする著者の考えを述べつつ、村上作品の魅力を探っていく内容となっています。
著者の考えをたどると見えてくるものは、村上文学における「暗示性の強さ」とでも言ったものです。たとえば、著者によれば村上文学は世界の人々が共有している「共に欠いているもの」を書き続けているからこそ、世界性を獲得したとされます。「共に欠いているもの」は現実に表出していないため、直接名指すことはできません。しかし、彼はそれを作中に明示することなく織り込むことができる。それに、世界中の人々が感応するから、彼の作品の世界性が達成されるのです。
そのような意味で、村上作品のもつ世界性とは、日常に根ざしたものと考えることもできるでしょう。

世界にかろうじて均衡を保たせてくれるのは、「センチネル」たちの「ディセント」なふるまいなのである。
仕事はきちんとまじめにやりましょう。衣食住は生活の基本です。家族はたいせつに。ことばづかいはていねいに。
というのが村上文学の「教訓」である。
それだけだと、あまり文学にはならない。
でも、それが「超越的に邪悪なもの」に対抗して人間が提示できる最後の「人間的なもの」であるというところになると、物語はいきなり神話的なオーラを帯びるようにある。(中略)
私たちの平凡な日常そのものが宇宙論的なドラマの「現場」なのだということを実感させてくれるからこそ、人々は村上春樹を読むと、少し元気になって、お掃除をしたりアイロンがけをしたり、友達に電話をしたりするのである。
それはとってもとってもとっても、たいせつなことだと私は思う。(66-67)

確かに村上作品には、日常の生活を大切にしたくなったり、誰かと繋がりたくなったりする気分にさせる、そのような力が隠されていると感じます。

村上春樹にご用心

村上春樹にご用心