イワンのばか/トルストイ

2007/2/18-3/9
「最後に、第三の人々は―「わたしたちが神について知ることのすべては、神は人々のために幸福をつくってやりながら、なんじらも他人に対して同じことをせよと命じられている、ということだ」といっている。「だからわれらは、神の手本にならい、自分に近い者のために善をなることに、つとめなければならぬのである」
そして彼らがこの考えに到達するやいなや、彼らのところへ神が降りて来て、こう言うのである―「それそれ、それこそわしがおまえたちから求めるところだ。わしがやっているようにおまえたちもやってゆくがいい。すればおまえたちも、わしが暮らしているようにくらすことになるだろう」(『三人の息子』より)(204)
トルストイの民話集は、以前にも『人はなんで生きるか』を読んだことがある。両方の本に共通することは、人間の「善」に対する強い信頼である。私自身は、基本的に性悪説の立場に立っているのだが、トルストイの民話における圧倒的な善の前では、性悪説の貧しさを感じてしまう。そして、少しでも彼の「善」に近づきたい、そのような思いに浸ることができるのである。