『デリダ』高橋哲哉 3/3

責任

・(イサク奉献のように)パラドクス、アポリアダブル・バインド、不可能なものの経験なしに責任はない。「不可能な」責任とは、すべての他者を唯一絶対の他者として遇しなければならないこと、にもかかわらず、他の他者たちを犠牲にせずには一人の他者にさえ責任をとれないこと。特異性と普遍性の二重の要求のどちらも放棄しないこと。これを放棄すれば、一者との共同性に自閉して他の他者への責任を忘れるか、一般的規則の適用へと責任がすり替えられてしまう。(245)・「決定」の思想としての脱構築プラトン主義的決定とは、決定不可能なものを外部に排除し、そのようにして生じた内部/外部、自己/他者、パロールエクリチュールといった分割を、階層秩序的二項対立として、ロゴスの法として固定化しようとする。脱構築は、そこで外部として排除されたものが内部の内部に――「亡霊的」に――回帰するのを示し、ロゴスの法の中に決定不可能性を再導入し、決定不可能なものの経験のなかで別の決定がなされることを要求する。テクスト解釈で言えば、既成の支配的な解釈――解釈の法――に対し、そこで排除された契機に着目して決定不可能性を導入し、テクストをそのつど特異な他者性において経験しつつ、その呼びかけに応える新たな解釈を提起する、ということになる。(252)

絶対悪と灰

・「絶対悪」とは、絶対的生、絶対的に充実した<自己への現前>の生。エクリチュールや痕跡があることで、純粋な<自己への現前>の生はなくなり、到来する他者のための空間が開かれる。(275)
・記憶は忘却の犠牲に上にしか生き延びることはできない。記憶の約束は、エクリチュールの書きこみによる特異性の焼却の灰の上にのみ、残ることなくして残る。アポリアとしての記憶、エクリチュールダブル・バインド、名のパラドクス、これらこそ記憶、伝承、約束、反復、歴史といったのものの可能性の条件である。「絶対悪」とは、この可能性の条件そのものの抹消を意味する。(278)

用語について

パルマコン」薬、医薬、治療薬および毒、毒薬。
パルマケイアー」治療薬を用いること。毒を盛ること、(水源などに)毒を流すこと。(63)
「コーラ」場所。抽象的一般的な空間としての場所ではなく、そこになにかが置かれる具体的な場所。(99)