『フーコー<性の歴史>入門講義』仲正昌樹 1/4

 「性」に関する過剰な言説と、生権力の強化が継続的に続く現代。それが発生した経緯を、古代~初期キリスト教時代にまでさかのぼって解き明かしたのが、この「性の歴史」シリーズだが、現代に対する明確な処方箋が述べられているわけではない。むしろ「系譜学」というフーコーの方法論どおり、現代の問題が発生した経緯を明らかにし、現代の「ノーマル」が歴史的に作り上げられたものであることを、明らかにするのが目的。そこから先の議論は、現代の指導者や研究者が進めていくべきものなのだろう。
 その研究姿勢について、著者は次のように述べている。

 フーコーは古代における倫理や主体の歴史を読むことで、硬直化した現代人の物の見方を解きほぐすヒントを得ようとしますが、そこに安易にユートピア的な希望を見ようとはしません。アーカイヴに直接オルタナティヴを求めるのは、フーコーの姿勢ではないと思います。(345)

第一巻『知への意思』

・「性」について、根本的な想定が、幻想、恣意的なものでないか、確認しなければならない。性道徳を守らせようとする「説教=宣教」と、性の真実を語って開放へ導こうとする戦いが、「性」の現実について同じような認識を前提にしている。(31)
・「性の歴史」というと、「性の禁忌」が一番大事で、そこから始めなければならないという考え方が「おとり」。それを前提にすると、ほかの重要な側面が見失われかねない。(38)
・「性」をめぐる言説の増殖は、権力の網目をかいくぐって進行したのではなく、権力自身が「性」に関する情報を集めるための言語化をうながした。「性について、最も無尽蔵かつ最も熱心な社会があるとしたら、それは我々の社会に違いない」。(54)
・「性的欲望(セクシュアリテ)」は、そういうものがあるという前提がないと、「知」として成り立たないから前提として要請されている。量子力学における量子や、素粒子物理学の電子と同じ。(72)
・「法」によって禁止が命令されたり、権利が付与されると、そのことによる欲望(禁止されたものが欲しくなる、権利を行使したくなる)が生み出される。「他者との関係で原初的に課される法、父の名を核とする象徴界のコード、意味の体系が、人間の本来あるべき姿を示し、欲望を生み出す」。(85)
・「知」のメインストリームではないところから、従来の「権力」と「知」のコラボを揺るがし、既成の「権力」の基盤を揺るがすこともある。例えば、同性愛を統制するための「権力」と「知」の言説を蝶番にしたコラボが、「同性愛」をかえって自然なものとして肯定する言説を生み出した。(110)
・人口を管理する政策(=生政治)の原型となったのが、ペスト対策。一つの地域を全体的に封鎖して、そこにどういう住民がいて、どういう生活をしているか、感染者らしいものは今何人かと細かくチェックする。その次の天然痘対策では、一地域だけでなく、国全体にわたって種痘をすることで、人口全体を守る。社会に害を広げることを防ぐため、嫌がる者にも種痘を行う。(125)
・生権力が植え付ける「正常さ」の感覚が、法に先行して作用することになる。「性」もこうした生権力の働きの一翼を担っている。(127)