『江戸にフランス革命を』橋本治 5/5

 最後に、東洲斎写楽葛飾北斎という二人の画家について。
 この二人から感じる強烈な個性の原因はどこにあるか?
 たしかに、納得。
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 もっと正確に言えば、ファンというものは、まだ"客観性"などというものを持たずにすんでいるようなものだからである。ファンとは勿論大衆の別名であるが、写楽はそういう時期に――つまり個々人の判別を普通の人間がまだ必要とはしない時期に、”似顔絵"なる明確なる個性描写をやってしまったのである。早過ぎた天才というのはいるもので、当時の人間の目には、写楽の絵は異様なものとしか映らなかっただろう。今でも写楽の絵に"異様"とも言えるインパクトが残っているのは、そういうことの反映であろうと私は思う。(385)
 歌川派の演じるものが様式的であるというのは、その絵のベースに”歌舞伎演技の様式"があるということである。江戸の表現が「すべては様式的であらねばならない」ということの上に、歌舞伎の演技様式がある。歌川派の絵は、二つの様式を一つにまとめたのだ。ところで一方……北斎の絵には”他人の様式"がない。"様式"なるものを要請する日本的常識のなかで、"自分の様式"なるものを独自に確立するとなったらとんでもなく時間がかかる。北斎が読本挿絵の画家としてようやく"自分の様式"を整備確立するようになるのは五十歳を過ぎてのことだが、職人世界のオリジナリティーというのはそういうものなのだ。北斎の演技には、だから、他とは交わりたくない・交わらないと言う、人間の"情念"がある。葛飾北斎という人が、"近世の浮世絵師"という"職人"を超えて、かなり近代的な"画家"でもあるのは、その様式の中に存在する"北斎という個"のゆえであろう。(401)