『ひらがな日本美術史3』 橋本治 2/2

姫路城

 「白」は、あんまり「豪華」とか「美」じゃなかったんですよね。でも、江戸という管理社会の時代に「白の美」は定着した。だから今でも日本人は、超高層ビルを建てる時には、姫路城のような色彩の「白いビル」を建てるのかもしれない。
 「白いものは美しい」という考え方は確かにある。しかし、「白いから美しい」じゃない。姫路城の見せる“構成の美”がなにによるものかを考えればいい。「全部白にする、美しさは一切排除だ」という前提で、この城は造られた。だとしたら、これを造る職人はどう考えるか?彼等は当然、「ようがす、白く塗られても十分にきれいなように、最高に美しい形を作りましょう」と考える。姫路城の持つ“深さ”は、そういう質の美しさによるものだろ思う。(161)

彦根屏風

 ここにある美は、「ああ豪華だ」という単純な成金趣味ではない。しかも、ここに描かれる売春婦のいる売春施設は、「つい最近出来たもの」なのである。江戸時代初期の売春施設は、「長い時間をかけて達成された豪華な美」ではない。アッと言う間に出来た、そのできあがりの若々しさが、≪松浦屏風≫には反映している。アッと言う間に出来た新興の得体の知れない享楽を、これだけ品よくみずみずしく描けたということは、その背後に相当の美意識があったということでもあろう。その美意識の存在ゆえに、この屏風は「大名家の所蔵品」となれたのである。(222)

狩野山雪

 狩野山雪は、なぜ、伸びればもっと伸びる梅の木を、あんな風にねじ曲げたのか?もっとうまく上品に完成するはずの≪梅に山鳥図襖≫に余分な力を加えて、わざわざヘンな風にしたのか?どうして狩野山雪の絵には、「みなぎる沈黙」というようなこれ見よがしがあるのか?しなくてもいいそれをしたのはなぜか?京狩野が、権力の中心である江戸に本拠を置けなかったからですね。……山雪の絵の屈折の理由は、ただ「ここは日本の中心の江戸じゃない」ですね。中心であることを阻害されると、日本人はスネる。スネて“前衛”になる。その最初の例が、京狩野の狩野山雪じゃないのかと、私は思う次第なのであります。(242)

誰が袖屏風

 遊里の情景を丸ごと描いてしまえば、ある種のスペクタクルである。「なるほどなー」と感嘆して見ることは出来る。しかし、それをやって抜け落ちるものはある。それは、「しみじみとした情感」である。それが“今”の遊里ならいい。かつてそこで過ごした“過去”の遊里の情景を描くとき、その絵に詳細はいらない。それをすれば、思い出の中にいる女もまた、時の経過と共に年老いてしまうからである。美しい女の思い出は、胸の中にある。それを持つ男だけが、「女のいた部屋の記憶」を求める。記憶の中にある光景は、抽象的で簡潔である。その簡潔が、絵になるだけの“内容”を持っている。……「誰が袖屏風」とは、そんなもので、だからこそ、「誰の着物?」という疑問形がつきまとう。その答は、「誰でもいいじゃないか、俺の胸の中にいる女なんだ」なのである。(250)

ひらがな日本美術史 3

ひらがな日本美術史 3