『漱石文明論集』 三好行雄編

2011/1/9読了
年始に久しぶりに漱石が読みたくなり、この本を手に取った。内容も文体も、正月に読むにふさわしいものである。

現代日本の開化

現代日本が置かれたる特集の状況に因ってわれわれの開化が機械的に変化を余儀なくされたるためにただ上皮を滑って行き、また滑るまいと思って踏張るために神経衰弱になるとすれば、どうも日本人は気の毒と言わんか憐れと言わんか、誠に言語道断の窮状に陥ったものであります。私の結論はそれだけに過ぎない。ああなさいとか、こうしなければならぬとかいうのではない。どうすることも出来ない、実に困ったと嘆息するだけで極めて悲観的の結論であります。(36)

中味と形式

なおこの理を適切に申しますと、いくら形というものがはっきり頭に分っておっても、どれほどこうならなければならぬという確信があっても、単に形式の上でのみ纏っているだけで、事実それを実現して見ないときには、何時でも不安心のものであります。(この後日露戦争の喩え)(57)

私の個人主義

私はこの自己本位という言葉を自分の手に握ってから大変強くなりました。彼ら何者ぞやと気概が出ました。今まで茫然と自失していた私に、此所に立って、この道からこう行かなければならないと指図をしてくれたものは実にこの自我本位の四字なのであります。
自白すれば私はその四字から新たに出立したのであります。そうして今のようにただ人の尻馬にばかり乗って空騒ぎをしているようでは甚だ心元ない事だから、そう西洋人ぶらないでも好いという動かすべからざる理由を立派に彼らの前に投げ出して見たら、自分もさぞ愉快だろう、人もさぞ喜ぶだろうと思って、著書その他の手段によって、それを成就するのを私の生涯の事業としようと考えたのです。(その事業は失敗に終わるが、自己本位という考えは依然持ち続けているという記載)(115)

もっと解りやすくいえば、党派心がなくって理非がある主義なのです。朋党を結び団隊を作って、権力や金力のために盲動しないという事なのです。それだからその裏面には人に知られない淋しさも潜んでいるのです。既に党派でない以上、我は我の行くべき道を勝手に行くだけで、そうしてこれと同時に、他人の行くべき道を妨げないのだから、ある時ある場合には人間がばらばらにならなければなりません。其所が淋しいのです。(130-131)

イズムの功過

人間精神上の生活において、吾人がもし一イズムに支配されんとするとき、吾人は直に与えられたる輪廓のために生存するの苦痛を感ずるものである。単に与えられたる輪廓の方便として生存するのは、形骸のために器械の用をなすと一般だからである。その時わが精神の発展が自個天然の法則に遵って、自己に真実なる輪廓を、自らと自らに付与し得ざる屈辱を憤る事さえある。
精神がこの屈辱を感ずるとき、吾人はこれを過去の輪郭がまさに崩れんとする前兆と見る。未来に引き延ばしがたきものを引き延ばして無理にあるいは盲目的に利用せんとしたる罪過と見る。(211)

漱石文明論集 (岩波文庫)

漱石文明論集 (岩波文庫)