方法としての東北/赤坂憲雄

2008/1/25-2/1
著者のひとつの立場として、明治以降の近代化の過程で東北に押し付けられた、「日本のふるさと」「米どころ」といったイメージを解体することがある。その反証として、東北は近代初期までは米どころではなく、主に稗やソバをを作っていたという事実がある。(17)柳田國男は『雪国の春』の「瑞穂の国」の思想は、稲作中心史観によってゆがめられており、それは「昭和初期にはいまだ稲作の外部にあった、多くの東北の常民たちを視野の外に追いやろうことで、一篇の追憶の物語を紡いだ」ものである。(123)そこには沖縄を瑞穂の国の源郷として見出し、北の異属・アイヌ/南の同胞・沖縄の線引きをする政治的な意図も見られる。
ただし、次のような主張からは、著者も東北に対する「オリエンタリズム」的視点にとらわれていることが見受けられる。「東北人のアイデンティティは、稲作へのコンプレックス/エミシの末裔としての誇り、といったところで鋭利にひき裂かれてきた。そうした東北の多様性こそが、やがては反転して、将来の東北を築くための拠りどころとなる。」(205)