澁澤龍彦との日々/澁澤龍子

2006/4/28-5/6
「澁澤との日々を改めて考えてみると、世間一般でいう、いわゆる家庭生活というものがあったのか疑問に思います。地に足つけて、しっかり日常を生きるというよりも、今でもそうなのですが、幻想のなかに生きているような、夢のなかにいるような生活だったと思うのです。同時に、澁澤は毎日の暮らしをとても楽しみ、大切にした人でした。」(82)
「そして次の年(二〇〇二年)にはシチリア一周の旅を。三〇年ほど前、ここに来たのは、ゲーテの『イタリア紀行』や、シチリアを支配した神聖ローマ皇帝フリードリヒ二世への思いから、彼がどうしてもパレルモへ行きたいと、二〇日間ほどの旅の最後に寄ったものでした。あのころとはすっかり変わり、澁澤が興味をもったパラゴニア荘のあるバゲリアも、高速道路であっという間に通り過ぎてしまいました。彼はパレルモの印象を「一口に言えばフローラ」と言って、目にした植物の名前を日記にたくさん書きつけてありましたが、今回、わたしの目にはまったく入ってきませんでした。」(103)
「澁澤は今、鎌倉五山第四位臨済宗浄智寺に眠っております。
浄智寺の山門から振り返れば、薄いペパーミントグリーンの南京下見のわが家が望めます。
春には爛漫の桜が墓地周辺を囲み、五月八日の彼の誕生日には白雲木の白い花が咲き乱れます。夏、蝉しぐれのなか、百日紅の燃える紅が、庫裏の藁葺き屋根を染め、秋には山門の紅葉が澄んだ逆光に照らされ、極楽浄土を思わせるでしょう。そして冬、周辺の小さな山々の枯葉が落ちて、よく晴れた日には、浄智寺への細い道は午後の陽光をうけて杉木立のなかから白く浮かび上がります。」(193-194)