『西部劇論 その誕生から終焉まで』吉田広明 2/4

・古典的西部劇の世界では、初期西部劇のような「グッド・バッド・マン」は存在し得ない。『駅馬車』のリンゴーは最後のグッド・バッド・マン、時代錯誤的な存在であり、それゆえに去らねばならない運命にある。彼には、古典的西部人のもつ苦さがなく、存在の透明な美しさもそれに起因する。(76)
・1943年の『牛泥棒』は、西部劇の持つ倫理性に根本的な疑義を突きつけた作品である。西部人の暴力の根拠には倫理があり、それは社会や法と背反するからこそ、見るものにカタルシスが与えられていた。しかし、その倫理が根拠が失われてしまうと、暴力は端的に恣意的なものでしかなくなる。『牛泥棒』以後、西部劇の風土はじわじわと変えられていくことになる。(88)
・『牛泥棒』を撮ったウェルマンは、1944年『西部の王者』を公開する。神話的西部人バッファロー・ビルを主人公とした作品だが、この作品では初めてインディアンに対する同情的な視点が打ち出される。バッファローの大量狩猟がインディアンの生活を逼迫させていく様相を描き、「修正主義的西部劇」のはしりとなる。(104)
・1950年代初頭には、西部劇にある変化が生じる。アンドレ・バザンはそれを「超西部劇」というが、著者はそこにノワール的なものを見る。ノワールは、物語に社会への不信、社会批判的な視点も注ぎ込み、西部劇がこの根本に置いてきた価値観を侵食する。だが、そのことにより西部劇は、アメリカにとって西部とは何かを自覚的に問う、すぐれて反省的なジャンルとなる可能性を手に入れる。この時期に、西部劇は西部なるものに初めて真っ向から向き合うことになるのである。(112,153,155)
・戦後、ジョン=フォードは再び西部劇を取り始める。興味深いのは、彼が社会的慣習や儀式(ダンス、葬儀)を好んで描いたことである。彼は、それを西部劇的な意匠として描いたわけではなく、人と人が心理的につながる場として描いた。彼は、人が自ずと寄り添うことを必ずしも信じておらず、それほどまでに絶望が強かったのである。(163)
・ガンマンがイメージとして、神話として意識されるようになるのは、西部劇が曲がり角を迎えた四〇年代後半から五〇年代である。西部劇はこの頃、ジャンルとしての自身を意識しはじめるのであり、作品の中では、アウトローの印象の見直しとして、実を結ぶことになる。(176)
・西部の神話化に伴い「名」が重要な意味を帯びてくる。ジョン=フォードはその事態を誰よりも早く察し、対処する。『リバティ・バランスを射った男』では、実際に射ったわけではない男が、その「名」を追うことで、それにふさわしい存在になる努力を重ねるさまが描かれる。(183-184)

『西部劇論 その誕生から終焉まで』吉田広明 1/4

 昨年から、BSプレミアムで週1回放送されている西部劇映画。最初は、「なぜ今更西部劇?」とも思っていたが、今までこのジャンルをあまり見ていなかったこともあり、継続的に見続けている。
 BSプレミアムの映画で、同じジャンルの映画を1年以上にもわたって放送しつづけることは異例であり、それだけ反響も大きいということなのだろう。
 この『西部劇論』は、2018年に出版された西部劇の研究書。西部劇には、基本的には同じような話が多いにもかかわらず、何作も飽きずに見続けられる不思議さがある。この本を読むと、演出はもちろんのこと、映画の根底にある思想が、過去の作品を乗り越えるのような形で変化を続け、同一ジャンルの中で豊かな作品群が生み出されたことが、その理由であると思える。それだけ、西部劇にはジャンルとしての柔軟性があったのだ。
 1970年代以降、西部劇の数は激減する。その理由を著者は、スタジオ・システムの崩壊に絡めて説明しているが、日本のテレビドラマで時代劇が衰退したように、単純に人気がなくなったことも理由の一つではないかと思う。
 ヒーローとは、正義とは、アメリカとは?それは、(あえて書くが)古くさいカウボーイの姿では、もはや描けない。70年代以降、それらのテーマはSF映画で描かれるものとなり、近年はアメコミ・ヒーローがその器となっていることは、多くの観客が感じていることだろう。その意味では、ジャンルとして終わったと思える西部劇映画でも、その思想は形を変え、今でも生き続けていると言えるのだ。
……
・歴史的な存在でしかなかったカウボーイが、1920年台の『ヴァージニアン』などで世俗世界の英雄として描き出される、いわば「異種交配」されたことが、西部劇の特異性を生み出した。(31)
・1930年代末、西部劇は東西、新旧、法と無法、牧畜と農業、農業と工業などの二項対立を生成し、深刻な葛藤を設定するのに適した舞台となった。その葛藤がギリギリまで推し進められ、解決しようがない次元に行きつくとき、「デウス・エクス・マキナ」としてメロドラマが使われるようになる。(49)
・1930年代に形作られた古典的な西部劇においては、決まりきったパターンや人物像系が多い。俳優が変わっても、観客が期待する人物造形の型(匿名的な、銃を身につければ立ち上がるイメージ)があればよい。逆に言えば非古典的西部劇では身体は匿名的なものでなく、例えば『真昼の決闘』はゲイリー・クーパー無しには、『明日に向かって撃て!』はニューマンやレッドフォードの長い肢体と軽やかな立ち振る舞い無しには成り立たない。(59)

九月に鑑賞した作品

9/1 『アンダーグラウンド』 エミール・クストリッツァ
9/3 『復活の日』 深作欣二
9/7 『地獄への逆襲』 フリッツ・ラング
9/9 『麻雀放浪記』 和田誠
9/14 『彼のオートバイ、彼女の島』 大林宣彦
9/16 『陽のあたる場所』 ジョージ・スティーヴンス
9/21 『メイン・テーマ』 森田芳光
9/23 『暗くなるまで待って』 テレンス・ヤング
9/27 『インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説』 スティーヴン・スピルバーグ ※途中まで
9/30 『西部劇論』 吉田広明
   『戦国自衛隊』 斉藤光正

八月に鑑賞した作品

8/3 『ダイヤルMを廻せ!』 アルフレッド・ヒッチコック
8/5 『西部の男』 ウィリアム・ワイラー
8/24 『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』 庵野秀明
8/26 『野生の証明』 佐藤純彌 

『フーコー<性の歴史>入門講義』仲正昌樹 4/4

第四巻『肉の告白』

・初期の教父であるクレメンスと、その二世紀後のアウグスティヌスの間には、性的関係の倫理を「自然化する」傾向があるヘレニズム化した、ストア派的なキリスト教と、厳格でよりペシミスティックで、人間の本性を堕落という視点からしか考えず、性的関係にもネガティヴな指標を割り当てるキリスト教のあらゆる相違がある。この変化をもたらした要素が、二世紀の後半に始まる「悔い改めの訓練」と三世紀の終わりに始まる「修道院的禁欲」であり、これらが新しい「自己への配慮」あるいは「主体性」の形成に繋がった。(362)
・四世紀には、魂の不死を処女性と絡めて論じるテクスト、古代において性の問題とともに始まった自己への配慮を、性の抹消による身体性の止揚とも言うべき極端にまで変容させたテクストが登場した。
・(質問への回答として)古代的な共同体の枠組みや宗教的・哲学的世界観がどんどん崩れていって、自分をどう把握したらいいか、自分たちの欲望をどう処理していいか分からなくなった。そこでキリスト教が精神的共同体のモデル、古代のそれを真似ているけれど、より羊飼い的な「魂のケア」のあり方を示して、支持されるようになった。国家が直接性的に規制の装置を提供しなかったというより、そういう安定した国家がしばらく誕生しなかったので、キリスト教の先ずは「魂のケア」という戦略が成功したのでしょう。制度的に意義付けされない、剝き出しのリビドーは不気味だったのでしょうね。(399)

『フーコー<性の歴史>入門講義』仲正昌樹 3/4

第三巻『自己への配慮』

ローマ帝国の時代には、性的関係をいろんな方面に広げることに不安を覚えるようになり、婚姻関係に集中しようとする傾向が出てきて、それが結果的に、婚姻・禁欲を重視するキリスト教道徳に近づいていく。(252)
・生活から余分なものを省くという禁欲節制の発想は、エピクロス派とストア派で共通している。前者では「あらゆる余分なものから快感を得るよりも、もっと充実した、もっと純粋な、もっと安定した楽しみを見つけ出すことができるか、を明らかにすることが重要」であり、後者は「習慣や意見や教育や評判への配慮や見せびらかしたい気持ちなどのせいでわれわれが執着したすべてのものを、なしですませることがどんなに容易であるか発見しつつ、予測可能な不自由な事態に対して心構えすることが重要」であった。(269)
・古典時代の倫理は、美しい生き方のスタイルを自らのイニシアティヴで作っていくという感じだったが、ローマ時代は自分の弱さによる心身や生活の破綻に気を使い、「自然もしくは理性という普遍的原理」に従うようになる。そのうえで、欲望ゆえの不安がない、エピクロスストア派的な状態を目指すことになり、性自体を悪とみなすキリスト教的な考えに近づいていく。(274)
・古典主義時代の家長=市民は、基本的に自分自身の主なので、自分独自の美的生活様式を確立し、倫理主体になればよかったが、ヘレニズム時代、帝国ローマ時代の市民は、国家に仕える臣民でもあり、国家に対する義務も負っていたため、どの方向に主体として自己を形成すればよいか、葛藤が生まれてきた。(279)
・そのような状況から、「主体化(subjectivation)の危機」、つまり自分の存在に合目的性を与えることを可能にしてくれるものが見出せないという危機が発生した。(281)
・性行為に関しては、身体とのバランスを考え、控え目にすることとという、古典期と同じ考え方であったが、医学的な見地から身体の不安定性を強調し、用心深くなっており、結果的にキリスト教的な身体への警戒感に近付いている。(289)
・夫婦関係については、ムソニウスのような哲学者から、共同体的な関係の中で最も重要な、独特の位置を占めているものだという考え方が出てきた。自然と繋がってくる血縁よりも、夫婦という形で、当事者の意思によって人為的に形成される共同体の方が重要である、という考え方である。(315)
・帝政期=ストア派の時代は、夫婦間以外での性が制約され、逆に夫婦間での性に特権的な意味が付与された。夫婦間の性交渉に関しては、共同体の構築のために性的快楽を積極的に活用しようとする積極的思想と、それを夫婦の関係に限定しようとする思想が一体となっていた。(328)
・若者愛と夫婦愛、性的快楽と結婚の関係などをめぐって様々な言説が拮抗していた時代に、純潔系の考え方、すなわち「ふたりの恋人が結婚のときまで保持すべきは、自分たちの肉体的な清らかな完全性であるのみならず、心の清純さなのであって、結婚というものは、肉体面だけでなく精神面においても理解されなければならない」という思想が現われる。これは、古典期にはなかった発想であり、キリスト教倫理に向けた変化が見てとれる。(337)

『フーコー<性の歴史>入門講義』仲正昌樹 2/4

第二巻『快楽の活用』

ストア派の哲学者、アレタイオスの著作からは、性を浪費すると体が衰弱するので控えるべきという教訓が述べられる。これは健康上の理由だが、キリスト教時代には信仰上の理由に変更したうえで、引き続き性交の抑制が推奨される。そして一八世紀からは、科学的な言説により同じことが語られる。フーコーにしてみれば、医学主導になったのだからキリスト教以前に回帰しているとも言える。(151)
ギリシャ・ローマ時代には、家長(=男性)がどう自分を磨くべきかという問題、「様式化(スタイル)」に関わる問題設定のなかで、結婚生活においてや、少年との快楽の実践が語られた。(155)
・高い社会的地位にある人たちには、その身分にふさわしい品位ある態度をとることが求められた。その実践が「節制」であるが、それは決して禁欲道徳ではなく、適正な快楽の享受が目的であり、例えば快楽を行なう時期(生涯のどの時期か、一日のうちいつか)も問題になる。(171)
ギリシア・ローマ時代と、キリスト教時代で、道徳主体になるための厳格さが求められるのは同じでも、愛欲(アフロディジア)の享受のため分別を働かせるのと、欲望をできる限り抑制するという方法の違いがある。前者は「男らしさの型=自己による自己の完璧な支配」、後者は「処女性・純粋さ=自己の放棄」として対比できる。(180)
・『知への意思』では、近代医学の「性」への関わりが論じられるが、それは生物学や生理学を基礎としての干渉だった。一方古代では、同じ問いが哲学と繋がり、性交が道徳主体として自己を確立するための前提を揺るがす可能性への懸念から、問題にされたのだ。(197)
プラトンは「愛の対象の選択」に関する記述のなかで、男性や、妻以外の女性との関係を禁止し、処罰の対象とする提案をしている。しかしその理由は「良き生殖の諸条件」を護るために設定する処罰であり、キリスト教時代の貞潔義務の精神とは関係がなかった。(211)
ギリシアの恋愛(若者愛)では、欲望を掘り下げて、自分のなかの真理(=自分は何者かという真実)を見出すことが目指される。それがキリスト教では、真理のための絶対的な禁欲というものに変節してしまう。(234)