『ひらがな日本美術史1』 橋本治 2/3

中宮寺菩薩半跏像

 飛鳥時代の仏像の持つ肉体性は、「観念としての肉体」である。ここには、まだ肉体がない。精神性を表わす「顔」という肉体の一部だけがあって、首から下の肉体は、どうあっても、この顔を支える為の「身体という台」だ。飛鳥時代に、まだ肉体は観念としてだけあって、次の白鳳時代に、肉体は「肉体」となった。肉体となって、そしてすぐに成熟した。少年は成熟して中年となり、白鳳彫刻は成熟して、堂々たる「日本の仏像」になった。中宮寺の《菩薩半跏像》は、その転換の変わり目にあった、奇跡のような゛瞬間゛なのだろうと、私は思う。(68)

法隆寺金堂旧壁画

 法隆寺金堂の旧壁画は、昭和十年にカラーの写真が撮影され、昭和十四年には模写が計画されている。つまり、その時点で十分剥落がひどかったということである。それでも、この金堂壁画は、そのような状態の復元を目指された。それでよかったのだと、私は思う。これこそが、日本人の夢の中にある゛廃墟の美゛だと、私が《法隆寺金堂壁画》を想うからである。
 現在の我々は、この法隆寺金堂の旧壁画を、昭和十年に撮影されたカラー写真によってのみ知ることが出来る。現物は、あってないようなものである。現実にはなくて、だからこそ夢の中だけで自由になれるようなものというのはそうそうないが、存在だけが写真で確認される法隆寺金堂の旧壁画は、正にそのような、「夢の中にだけ存在するもの」なのである。(73)

源氏物語絵巻

 この、くっきりしないフォルムの中にあるものは、ただの「優美」ではなく、「ためらい」という分かりにくさだ。「ためらい」があるからこそ、あの目を閉じて眠っているようにしか見えない「引き目鉤鼻」の画中人物達の中に、゛心理゛というものが見えて来る。国宝《源氏物語絵巻》の中にいる人物達は、誰も彼も、あの源氏物語という残酷な物語を背負って生きている。「絢爛豪華な王朝世界」を求めて、後の源氏絵がなくしてしまった、あの非情な恋の物語の残酷が、この院政期に描かれて残っている国宝《源氏物語絵巻》の中にはある。……
 私は、剥落してしまった絵の具をすべてもとのように再現しえたとしても、やはりこの国宝《源氏物語絵巻》の絵は、どこかに゛寂しさ゛を漂わせているものだと思う。(97,100)

平等院鳳凰堂

 宇治の平等院が極楽浄土をほうふつとさせるのは当然である。それは、彼の極楽を現出させるために造られた、「極楽テーマパーク」なのだから。
 彼=頼道は、その美しい庭を持った美しい建物の中で、彼自身の極楽浄土を実感して、きっと幸福だったのだろう。往時の美しい色彩は剥げ、往時の庭のイメージも損なわれてはいるけれど、しかし宇治の平等院鳳凰堂には、なぜか「きらびやかな安らぎ」というものが、まだ残っている。
 信仰の場であり、いかめしい仏の住まう場である寺が、どこか「のびやかさ」とは反対なものを感じさせるのに対して、この鳳凰堂にはそういうものがない。それはきっと、ここが「幸福な場所」だったからだろう。そう思えば、ここが「最もよく出来たテーマパーク」であっても一向にかまわないのではないかと、私は思うのだ。(149)