チェーホフ、その恋愛観 −『チェーホフ短編集』 1/3

 新潮文庫より『かわいい女・犬を連れた奥さん』というタイトルで出ている、チェーホフの短編集を再読。
 いつも通り、気にいった個所に付箋を貼って読んでいるが、今回はなぜか恋愛感情を記述したところが多い。とりわけ、男性の主人公が、自分の思いを分析的に吐露している部分。

 自分にも他人にも満足できず、苛立たしい気分のまま一人とり残されると思うと、私はそらおそろしくなった。私ももう流れ星を見ないようにしていた。
「もう少し一緒にいて下さい」と私は言った。「お願いだから」
 わたしはジェーニャを愛していた。この娘がいつも私を出迎えたり送ったりしてくれ、うっとりした目つきでやさしく見つめてくれたから愛していたのかもしれない。何という感動的なすばらしさだったろう、この娘の蒼ざめた顔、細い頸、細い腕、その弱々しさ、無為の毎日、そして読み耽る本!それならば知性は?この娘には人並みはずれた知性があるのではないかとひそかに思い、その視野の広さに私は感動していたのだったが、それはたぶんこの娘の考え方が、私を嫌っている厳しく美しいリーダの考え方とは違っていたためなのだろう。私は画家としてジェーニャに好かれ、自分の才能でこの娘の心を捉えたのであり、この娘のためにだけ絵をかきたいと熱烈に念じた。(30) ―『中二階のある家』より

 スタルツェフがこの娘に夢中になったのは、娘の新鮮さ、その目や頬のあどけなさのためだった。娘の服の着こなしにさえ、スタルツェフは何かしら異様に可憐なものを、感動的なほど素朴で無邪気な優雅さを見ていた。と同時に、その無邪気さとは裏腹に、この娘は年に似合わず聡明で成熟しているようにも思われた。まじめな話をしているときに突拍子もなく笑い出して家に駆け込んでしまうことはあったけれども、この娘とならば文学や芸術など何についても語ることができたし、人生問題や交友関係についても愚痴をこぼすこともできた。(45) ―『イオーヌイチ』より

 なぜこの女は彼をこれほど愛しているのだろう。グーロフは女たちの目にはいつも本当のグーロフとは違ったふうに映り、女たちはグーロフそのものをではなくて、女たちの空想が生み出した男を、女たちがその生涯に熱烈に探し求めていた男を愛したのだった。そして自分たちの間違いに気づいたあとも、やはり同じように愛しつづけた。そしてグーロフと結ばれて幸福になった女は一人もいなかったのである。時は流れつづけて、グーロフは女たちと知り合ったり、親しくなったり、別れたりしたが、愛したことは一度もなかった。ほかのものは何でもあったが、愛だけはなかった。
 そして頭が白くなり始めた今、グーロフはまともに、本当に――生まれて初めて愛したのである。(127-128) ―『犬を連れた奥さん』より