フリーダ・カーロ 2/2

浄化する画家

堀尾氏は、横尾忠則氏との対談の中で、フリーダとの出会いを次のように話している。

たしかにこの人を介して、私自身どこまで解放されたかはわからないんですけど、とても心が軽くなったという感じがします。
それから、人間というのはこうあるべきとかあああるべきとか、とてもモラル的に考えていた私が、いろんな人を受け入れることが出来るようになったというか、こういう人もいて、ああいう人もいて、こういう生き方もあって、ああいう生き方もあって、不条理なこともあって、そういうものをすべて受け入れられる、そういうものが人間だ、という気持ちになりましたね。それは大変な変化。それを解放といえば解放かもしれない。

それに対し、横尾氏はこう答える。

フリーダがそのまま、ありのままの自分の現実をさらけ出したという、それがその絵を見る人の人間をさらけ出すことになったんだからね。僕は芸術行為というのはそういう意味で、カルマの解消につながっていくものだと思うんですよね。

作品そのものに感応すること

フリーダの一連の作品を見て、私はそれらに強い感動を覚えることができなかった。もちろん写真でみただけであるので、実際の作品と対峙すれば話は違うのかもしれない。
しかし、より大きな理由は、作品を頭の中で、知識として理解しようとしているからなのだろうと思う。
フリーダ自身は、シュルレアリスムの画家として位置づけられることがあるが、しかし彼女はアンドレ・ブルトンの思想は魅力がなかったらしい。それは、彼の芸術が頭で考えられたものであるから。
彼女の人生には共感できても、その作品は、実際に絵と対峙し、五感で、身体で感応しなければ、その真価は分からないものなのだろうと思う。そのような種類の画家は、確かに存在する。

フリーダ・カーロ―引き裂かれた自画像 (中公文庫)

フリーダ・カーロ―引き裂かれた自画像 (中公文庫)