『明治大正史世相篇』 柳田国男

2009/11/18読了
内容は前半と後半で若干趣が異なっている。
前半は人々の生活に焦点を当て、著者流の「唯物史観」的な考え方、そこから伝統や固有文化の歴史性をあぶりだすようなものとなっている。
個々の話題としては、以下のものが扱われている。
・市場の発達による衣服の麻(個生産)から綿(大量生産)への変化。
・流通の発達、家の個別化による「村の香、祭の香」の消滅。
・板ガラスの普及により家が明るくなる。その結果汚れが目立つことになり、白い食器が普及する。また内装へのこだわりが発生する。
・行燈、さらにはランプによる「火の分裂」、その結果としての「心の小ざしき」の発生。
・交通の発達や写真の流行による、人々の風景観の変化。
・都市部への人の流入による、故郷意識の発生。
いっぽう後半では、当時現われてきた「大衆社会」の様相が描かれる。
・地域の恋愛観、結婚観の変化と、遠方からの入婿・入嫁、また内縁の夫婦の増加。
・宗教観の変化。村なかに、聖者とともにある魂から、十万億土にある魂への、死生観・祖先観の変化。
・統計重視の結果としての、少量農産物の大量生産、あるいは産業品の統計的増大の裏にある、無駄な生産過剰。
・商業の利潤主義と広告の発生、それに対応した生産者の公私設市場での売買。
・生産の資本が、商業資本家へ引き渡された結果の、国全体の流行の画一化と同期化。
・「見物する大衆」の発生、それに呼応した運動の選手と観客への分化。
また最終章では、著者は今後の文芸のあり方について、次の意見を述べている。自分の読書生活を省みるものとして、ここに書き留める。

文芸の新たなる遠路に関しては、別にこれを説く人があるからここには述べない。しかし少なくとも読者のすでに予想し、もしくは漠然とでもすでに考えていたことを、もう一度彼とともに見たり考えたりしようとするような、著述が最初に不要になって行くことだけは誰にでも察せられる。以前はそういう世話焼きも必要と認められ、ことに講演などはそんなものばかり喜んで聴いたのであるが、今日はそれはもう仲間の仕事になって居る。われわれが外から待って居るのは新しい事実、もしくははじめての経験になる感想であって、しかもできるならば自分たちの疑惑に、少しでも解釈を与えるようなものを望んで居る。実際このように多量の未知を抱え込んで、今まで同じ言葉の人真似にばかり、時を費やしていたことが悔いられて居るのである。(421-422)

明治大正史 世相篇 (中公クラシックス)

明治大正史 世相篇 (中公クラシックス)