『国境の南、太陽の西』 村上春樹

2009/3/29読了
この作品は、それまでの氏の作品と比べ、非常に生活感のある印象を受けます。主人公が家族を持ち、一市民としてまっとうな生活を送っている、また幻想的なものや非現実的なものを排除しているところにもそれが窺われます。
義父が主人公に語りかける次のような言葉は、物語の持つ生活感を、分かりやす過ぎるほどに表していると思います。

「ものごとにはそれなりのやり方というものがあるんだ。会社勤めなんかしてたら、百年たってもこううまくはいかない。成功するためには幸運だって必要だし、頭だって良くなくちゃならない。それは当然だ。でもそれだけじゃ足りないんだ。まず資金が必要だ。十分な資金がなければ何もできやしない。しかしそれよりももっと必要なのは、やり方を知ることなんだよ。やり方を知らなければ、他の全部が揃っていたって、まずどこにも行けない」(97)

そのような物語の中で、島本さんとイズミの存在は、唯一幻想性を伴った存在として描かれています。しかし、物語の終盤でその二人も主人公の前からは消える。その後の彼の生活は一気に空虚で色褪せたものになってしまいます。

外見的には僕は以前とまったく同じだった。いや以前よりはむしろ愛想がよくなり、親切になり、よく喋るようになったかもしれない。でも自分ではよくわかった。カウンターのスツールに座って店の中をぐるりと見回してみると、前とはちがっていろんなものがひどく平板で色褪せて見えた。それはもうかつてのあの精妙で鮮やかな色彩を帯びた空中庭園ではなかった。どこにでもあるただのうるさい酒場だった。すべては人工的で、薄っぺらで、うらぶれていた。(275)

しかし、積極的に選び取ったわけでないその生活を、彼は家族とともに、ポジティブに生きていこうとします。それが、この作品が掲げる「身の丈に合った希望」ではないかと思うのです。

国境の南、太陽の西 (講談社文庫)

国境の南、太陽の西 (講談社文庫)