『灯台へ』ヴァージニア・ウルフ/『サルガッソーの広い海』ジーン・リース

2009/3/21読了

灯台へ

物語は大きく二つに分かれており、前半はある哲学者の一家が灯台行きを計画し、それが頓挫するというエピソード、後半はその十数年後に、成長した家族が晴れて灯台行きを決行するエピソードとなっています。出来事としては単純なものなのですが、挿入される心理描写には、独特な「意識の流れ」が表現されています。

「ええ、でも、そういう本っていつまで残りますかね?」と、だれかが言った。あたかも夫人の頭上には感度のいいアンテナが立っていて、ある種のことばはすかさずキャッチして、注意を喚起するかのように、いまのことばもアンテナに引っかかった。これはその手の話だわ。夫人は伴侶の危機を嗅ぎつける。こうした問いかけは、まず間違いなくよからぬ話題に発展し、夫にわが身の不首尾を想起させる発言につながるのだ。だったら、自分の著作はいつまで読み継がれるだろうか――うちの人は即座にそう考えるだろう。ウィリアム・バンクス(そういう虚栄心はさらさら持たない人)は問いかけを一笑に付し、わたしは流行りすたりなんかは気にかけない質でね、と答えた。本がいつまで残るかなんて、文学にしろなんの分野にしろ、だれにわかるものかね?(137)

『サルガッソーの広い海』

植民地に出生した人間の悲しみを描いた作品とされる本作ですが、確かにそのような面もある一方で、特異な心理小説としての読み方もできます。たとえば、この作品の主人公であるアントワネットは、物語の後半に行くにつれて精神に支障をきたし、周りからは異常者のように見られます。しかし、アントワネット側からの心理描写を読むと、彼女の精神状態に異常を感じるような描写は見られないのです。そのように考えれば、出自や不幸な出来事から、普通の人間が「異常者」となっていくまでのプロセスが詳細に描写された物語と読むこともできるでしょう。

「あの子の歌をきいた?」アントワネットが言った。
「彼らの言葉や歌がいつもわかるわけじゃない」言葉や歌にかぎらなかった。
「あれは白いゴキブリの歌。私のことよ。彼らがアフリカで身内から奴隷商人に売られてやってくる前からここにいた白人のことを、彼らはそう呼ぶの。イギリスの女たちも私たちのことを白い黒んぼと呼ぶんですってね。だから、あなたといると、私はだれで、私の国はどこで、私はどこに属しているのか、いったいなぜ生まれてきたのかいつも考えてしまうわ。どうか部屋から出ていって。クリストフィーヌに言われたように着替えなくちゃ」(355)