中国行きのスロウ・ボート/村上春樹

1980年から82年にかけて執筆された7つの短編が収められています。
『貧乏な叔母さんの話』『カンガルー通信』『午後の最後の芝生』では、強い望みを持たない、あるいは明らかに非現実的で意味がない望みを持った主人公が、居心地の悪い状態を押し付けられている、という状態が描かれています。ただし、それは強い苦痛を伴うものではないため、主人公もそれを受け入れています。そのような宙ぶらりんな状態は、次のように表現されています。

「あなたは私にいろんなものを求めているのでしょうけれど」と恋人は書いていた。「私は自分が何かを求められているとはどうしても思えないのです」
僕の求めているのはきちんと芝を刈ることだけなんだ、と僕は思う。最初に機械で芝を刈り、くまででかきあつめ、それから芝刈りばさみできちんと揃える――それだけなんだ。僕にはそれができる。そうするべきだと感じているからだ。
そうじゃないか。と僕は声に出して言ってみた。
返事はなかった。(『午後の最後の芝生』(186))

中国行きのスロウ・ボート』『土の中の彼女の小さな犬』は、共にふと過去の記憶がよみがえるシーンがあり、心地よいノスタルジアを感じさせる作品です。

僕は黙って彼女の手を取って僕の膝にのせ、その上にそっと手をかさねた。彼女の手はあたたかく、内側が湿っていた。そのささやかな温かみが、僕の心に長いあいだ忘れられていた幾つかの古い思い出を呼び起こした。(『中国行きのスロウ・ボート』(36)

僕は彼女の手をとり、ちょうど手相を見る時のように、手のひらを僕の方に向けた。彼女は手からすっかり力を抜いていた。長い指はごく自然に心もち内側に向けて曲げられていた。彼女の手に手をかさねていると、僕は自分が十六か十七だった頃のことを思いだした。それから僕は身をかがめて、彼女の手のひらにほんの少しだけ鼻先をつけた。ホテルの備えつけの石鹸の匂いがした。(『土の中の彼女の小さな犬』(246)

また、『中国行きのスロウ・ボート』には、都市の中にいる無力感の中からわき出てくる、外の世界へのあこがれが描写される場面もあります。これは村上作品の中では珍しい場面だと思えます。

中国行きのスロウ・ボート (中公文庫)

中国行きのスロウ・ボート (中公文庫)