パン屋再襲撃/村上春樹

『イエローページ』の主張に沿って、「マクシムの解体」をテーマに読んでみました。
それぞれの短編でマクシムが解体する場面は、たとえば次の部分に表れています。

象の消滅を経験して以来、僕はよくそういう気持ちになる。何かをしてみようという気になっても、その行為がもたらすはずの結果とその行為を回避することによってもたらされるはずの結果とのあいだに差異を見いだすことができなくなってしまうのだ。ときどきまわりの事物がその本来正当なバランスを失ってしまっているように、僕には感じられる。(中略)その責任はたぶん僕の方にあるのだろう。(『象の消滅』(68))

それが失われてからいったい何年が経つのだろう?
しかし僕にはそれが失われた年を思いだすことができなかった。それはおそらく双子が僕のもとを去るずっと以前にすでに失われていたのだ。双子は僕にそれを知らせてくれただけのことなのだ。失われた何かについて我々が確信を持てるのは、それが失われた日時ではなく、失われていることに我々が気づいた日時だけだ。(『双子と沈んだ大陸』(153))

「マクシムの解体」の後には、現実の生活と折り合いをつけた主人公が現れます。しかしそれはポジティヴなものではなく、ネガティヴな諦めを持ったものとして描かれます。

しかしおそらく僕はこの新しい世界に少しずつ馴染んでいくことだろう。時間はかかるかもしれないが、少しずつ僕は肉や骨をこの重く湿った宇宙の断層の中にもぐりこませていくことだろう。結局のところ、人はどのような状況の中にも自らを同化させていくものなのだ。どんな鮮明な夢も、結局は不鮮明な現実の中に呑みこまれ、消滅していくものなのだ。そしていつか、そんな夢が存在していたことすら、僕には思いだせなくなってしまう。(『双子と沈んだ大陸』(154))

パン屋再襲撃 (文春文庫)

パン屋再襲撃 (文春文庫)