限りなき夏/クリストファー・プリースト

2008/8/9-8/26
朝日新聞の書評が印象に残り、夏休みを利用して読んでみた。
SFの短編・中編を集めたものなので、舞台は未来となっているが、登場する人々の感覚はどちらかといえば過去に属している感がある。
たとえばその感覚は、次のような表現の中に見ることができる。
「わたしの家族は郊外に暮らしていた。エンタウンという名の土地で、市の東の海沿いにあった。それゆえ、ジェスラの中心部は、子供のころの記憶でところどころにしか覚えていない。建物、通りの名前、公園、広場に見覚えのあるものがあった。なかには、ばくぜんとしているが、胸にこたえ、微妙にたじろぐ思い出がある場所もあった。子どものころ、街の中心部は、父が働き、母がときどき買い物に出かけている場所だと思っていた。通りの名前は両親の縄張りを示す目印であり、わたしの目印ではなかった。現在の街が捨ておかれ、愛されていないように見えるのは、多くの建物が爆弾と爆風に被害を受けたまま修復されていないからだ。さらに、何百という建物に板が張られていた。当然ながら、敵の爆弾でぺしゃんこになり、瓦礫と化している地域もあった。通りの交通量は少ない――トラックやバス、若干の自家用車もあったが、最新機種は一台も走っていない。なにもかもみすぼらしく、つぎはぎだらけだった。馬に引かれている車両が驚くほど多い。」(『奇跡の石塚』(244-245))