カーニヴァル化する社会/鈴木謙介

2008/5/20-5/31
この本のテーマである「カーニヴァル化」について、著者は次のように述べている。
「蓄積や一貫性を維持することが困難な後期近代においては、共同体への感情は、アドホックな、個人的な選択の帰結から生じるもの以外ではあり得なくなる。そうした点を踏まえて彼(バウマン)が考えるのは、いわば「共同体」から「共同性」への転換だ。すなわち、ある種の構造を維持していくことではなく、共同性――<繋がりうること>の証左を見いだすこと――をフックにした、瞬発的な盛り上がりこそが、人々の集団への帰属感の源泉となっているのである。
このような瞬発的な盛り上がりこそが、ここでいう「カーニヴァル」にあたる。」(138)
そして、このような世の中での個人とは、「「個人化」された自己をベースに、躁状態鬱状態へ分断され、自己の躁状態をデータベースへの問い合わせによって維持するような人格モデル」(132)となる。
これらを前提としてさまざまな議論が展開されていくが、著者の危惧は、社会が「多数の、内的に幸福な、しかし客観的には搾取され、使い捨てられる大衆と、夢から覚めているが故に内的には不幸だが、セーフティネットや社会的資源を活用することのできる少数のエリートへと分極化する可能性を有している」(167)ことが、最後に述べられている。
なお、この本を初めて書店で見つけたとき、私はバフチンカーニヴァル理論をインターネット社会に適用した内容だと勝手に想像していた。実際には、この本にはバフチンの名前は出てこず、そのカーニヴァル理論も扱われていない。私自身はインターネット空間こそが、現代における「カーニヴァル空間」であると考えている。このことは、近いうちに書いてみたいと考えている。