鏡子の家/三島由紀夫

2008/4/20-5/17
昭和三〇年前後の東京を舞台に、資産家の令嬢である鏡子と彼女を取り巻く人物たちの交流を描く。昭和三〇年前後という時代はまだ貧しさが残る時代であったはずだか、その中で大衆から遊離し、奇妙な社交を繰り広げる彼らの生態は面白い。また彼らの没落、鏡子の「退屈な生活」の始まりは、彼らのような生がもはや不可能になったことに対する、ノスタルジアのようにも受け取ることができる。
「私はもう病気から治ったの。この世界がぶよぶよした、どうにでもなる、在ると思えば在り、ないと思えばないように見えるという病気から治ったの。この世界はこれでなかなかしっかりしているんだわ。職人気質の指物師が作った抽斗のようにきちんとして、押しても突いてもびくともせず、どんな夢も蝕むことができないようにできているんだわ。
(中略)人生という邪教、それは飛び切りの邪教だわ。私はそれを信じることにしたの。生きようとしないで生きること、現在という首なしの馬にまたがって走ること、……そんなことは怖ろしいことのように思えたけれど、邪教を信じてみればわけもないのよ。単調さが怖かったり、退屈が怖かったりしたのも病気だったのね。くりかえし、単調、退屈、……そういうものはどんな冒険よりも、長い時間酔わせてくれるお酒だわ。もう目をさまさなければいいんです。できるだけ永く酔えることが第一。そうすればお酒の銘柄なんぞに文句を言うことがあって?」(542-543)