湯浅(澁澤龍彦)

(施無畏寺にて)「この断崖絶壁となった山頂から、湯浅湾の海を一望のもとに見渡すことができるのだった。
私は巨岩の上に腰をおろして、汗ばんだ肌を風になぶらせながら、この古い日本の風景のアルケタイプ(原型)とでもいえそうな、眼下にひろがる海を眺めているうち、明恵上人がここを仏法修行の場所として選んだ理由が、すんなりと解るような気がしたものである。
松の枝越しに見える海には、苅藻島、鷹島、黒島などの島々が浮かび、そのはるか向こうには四国がかすんでいる。海には釣舟が動かない。それは何か永遠を感じさせる風景であった。古代このかた、この風景には変わりがないはずであり、おそらく私が眺めた釣舟とほとんど変わらぬ釣舟を、明恵上人もここから眺めたにちがいない、と思われた。永遠のなかに凝固した一瞬、そんなものを私は感じたのである。
この私の印象には、さらに南紀の特有な自然が大いに関係している。木の繁った深い山々と、明るい強烈な光に照らされた海との、絶妙なコントラスト。古代そのままの照葉樹林。山からも海が見えるし、海からも山が見える。海上から滝が見えるような地方は、日本国中、ほかにはないであろう。昼なお暗い深山から、突然、輝きわたる明るい海に出るのである。ここでは、山と海とは一体になって共存している。」(『記憶の遠近法』(162-163))