セザンヌ―孤高の先駆者/ミシェル・オーグ

2007/7/7-7/16
セザンヌのデッサンが規範から「逸脱」するのは、1880年以降である。果物皿や瓶は垂直ではなく、テーブルクロスの両端からのぞくテーブルの縁は互いにずれており、りんごは斜めになった長持の蓋の上に不安定にのっている。それまで絵画とは、(止まっているものであれ、動くものであれ)現実の一断片を、静止した画家が観察して表現するものと思われていた。マネ・ドガルノワールはこっそりこの規則を破っていたので、視点の二分化は問題にされなかったが、セザンヌは視点をあからさまに増やした。コップや果物皿は、正面、上、下、斜めと、2〜3の異なる角度から観察されている。
この複数の視点から、次第にさまざまな「異端」が生じる。すなわち、縮尺の破綻、形の分割化、デッサンと色彩の分解、構図を固定するための抽象的な要素の導入などである。当初は静物画の領域に限られていた「不正確な表現」は、やがてセザンヌの作品全体に広がっていく。」(74)
「彼自身は、レアリスムが自ずと輝かしい精神主義に変化する深い領域までは踏み込まなかったにしても、少なくともそこまで到達したいと願うものに簡潔かつ驚異的な方法を示した。彼は私たちに宇宙のダイナミズムを教えてくれた。無生物の者同士が与え合う影響を示した。彼を通じて私たちは、対象の色付けを変えることは対象の構造を変えることだと知った。
彼の作品は、絵画とは色彩や輪郭で物体を真似ることではなく、私たちの自然に造形的な意識を与えることだということを証明した。」(131)
まず対象ありきではなく、自らが対象とすべき「美」を見出すということ。