生き延びるためのラカン/斎藤環

2007/5/26-6/2

ラカンにおける「言葉」

ラカン理論の基礎概念をわかりやすく紹介した本。さまざまな理論を紹介する中でも、著者は特にラカン理論における「言葉」の重要性を強調している。
「この本は、言葉と心の関係についての話からはじまった。つまり、心は言葉でできていて、そのために途方もない自由さを得たけれども、同時に果てしない空虚さをも抱え込んだ、ということだ。これ、ラカン精神分析にとっては、かなり基本的な視点だから、しっかりおさえておいてほしい。なにしろ、ラカンにとっての「言語」の重要性がわかっていないと、その理論はますます謎めいたものにしかみえなくなるからね。」(15)
「要するに、言葉=象徴を手に入れるっていうのは、そういうことなんだ。そばにママがいないという現実に耐えるために、「ママの象徴」でガマンすること。「存在」を「言葉」に置き換えることは、安心につながると同時に、「存在」そのものが僕たちから決定的に隔てられてしまうことを意味している。僕たちはこの時から「存在そのもの」、すなわち「現実」に直接関わることを断念せざるを得なくなったんだ。僕たちは「現実」について言葉で語るか、あるいはイメージすることでしか接近することができない。ラカンはこのあたりのことを「ものの殺害」なんて、ぶっそうな言葉で呼んでいる。僕たちは「ママ」という言葉によって母親の不在に耐えられるようになった代わりに、たとえ目の前に母親がいても、母親の存在そのものに触れることはもうできない。
なぜなら、「ママ」と呼びかけたその瞬間に、僕たちは「現実の母親」を殺してしまったからだ。こうして、「子ども」は「人間」になる」(54-55)

対象a

この本では、これまでいまいち実感をもって理解できなかった「対象a」についても、噛み砕いて説明されていた。
「「対象a」は、こういう欲望の「原因」と言われているもの。ちょっとここで注意してほしいのは、「原因」と「目的」が違うってことだ。(中略)人間は対象aそのものをめざすことはできない。ただ、人間が欲望を持つとき、そこには必ず、対象aの作用が働いている。」(98)
そして、対象aの例として『お金』『永遠の幸福』『本当の自分』『恋人がうちに秘めているはずの謎めいた素晴らしい心』『いちばんえらいこと』を、童話などを引用しながら挙げている。
「要するに対象aとは、ラカン派哲学者・ジジェクの言い回しを借りるなら、それ自体は空っぽなのに、あるいは空っぽであるがゆえに、そこに僕たちのいろんな幻想を投影することができるスクリーンみたいなものだ。「恋人の心」もそんなスクリーンなのだ。」(107)